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只是一个小博客而已

 
 
 
 
 

日志

 
 

【生肉】【川原砾】plane shift  

2013-05-20 19:41:05|  分类: 轻小说阅读 |  标签: |举报 |字号 订阅

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プレーン?シフト

少し歩きすぎたせいか、わずかな息苦しさを感じた。

午後一番の講義が始まるまでまだ時間があったので、僕は、九号館の裏手にあるベンチで休憩することにした。

ずっと昔に枯れたらしい小さな噴水を囲む空間は、どちらを向こうとも濡れたねずみ色の壁か塀しか見えないので、他の学生たちにはほとんど無視されている。と言うよりも、こんな場所があることを知らない者が大多数だろう。

それは大いに歓迎だが、問題は校内清掃業者の皆さんもここを知らないか又は無視しているので、秋も深まるこの季節になると、塀の向こうに並ぶイチョウの樹から落ちてきた葉っぱが蓄積して大変な有様になってしまうことだ。雨上がりの濡れた地面に重なる黄色い扇型を、風情があるなどと言えるのは厚さ三ミリまでが限度だろう。それが五センチともなると、畑の堆肥と大差ない。

そのような場所を表現する語彙を、僕は幾つかストックしていたが――『ゴミ溜め』『吹き溜まり』『なんか発酵臭するとこ』等々――そこに、少し長めの新顔が追加されることになったのは、僕が汚れた木製のベンチに腰掛けたおよそ五分後、つまり十一月四日午後十二時四十五分のことだった。

それは、『異世界の美少女が降ってくるのに最も相応しくない場所』。

数多あるフィクションの中では、そういうイベントには眩い発光、荘厳な効果音、突然の旋風などが付き物となっているが、ぼんやりと空を見上げていた僕の眼前に発生した現象はそれらを一つも伴わなかった。

ジジッ、と空電のような音がしたと思ったら、突然何も無い空間にそれが出現したのだ。

人間だ!? と認識した瞬間、僕は反射的に立ち上がり、手を伸ばしていた。正直なところ、最初は飛び降り自殺かと思った。もしそうであれば、絶対に間に合わない距離だったが、なぜかその人間の落下が妙にゆっくりしていたためにぎりぎり両腕を下に差し込むことに成功した。

と言っても、力強く抱き止めたわけではない。わずかなりとも衝撃を減殺できた程度のことで、直後僕はその人間と一緒に地面に突っ伏すことになった。

積もった落ち葉の存在をはじめて有り難く思いながら数秒間痛みに耐えたあと、僕はゆっくり体を起こした。

両腕に乗っているのは、若いがいまひとつ年代が定かでない女性だった。理由は、明らかに日本人ではないからだ。陶器のようにきめ細かく白い肌、長く波打つ髪はそれ自体が発光しているかのような金色だ。閉じられたまぶたを縁どる長い睫毛も同じく金。

「自殺……じゃないよな……

僕はまじまじと女性――少女の顔を凝視したあと、視線を引き剥がして上を仰いだ。すぐ背後の九号館は屋上に出られないし、窓もすべて閉まっている。だいたい、虚弱な僕が、死ぬつもりで落下してきた人間を受け止められる(られなかったが)はずがないではないか。巻き込まれて一緒に死ぬのがオチというものだ。

とすれば、この少女は、やはり僕が目撃したとおり突然なにもない空間に出現したのだ。だったらいいな、という願望を多分に含む結論だったが、真実が解るまではそう思い込むのは僕の自由だろう。どうせ短く退屈な人生だ、それくらいの出来事がひとつくらいあってもいい。

とりあえず、怪我の有無を確かめようと、僕は少女の体に慎み深くしかし丁寧に視線を走らせた。

そして、やはりこれは只事ではない、という思いを新たにした。僕は決してファッションに詳しいほうではないが、少女の服装は、どんな雑誌を捲っても載っていないものであろうことは断言できる。光沢のあるぴったりしたボディスーツに首元から足先までを包み、その上に貫頭衣のようなドレープの沢山あるゆったりした服を纏っている。色は両方、銀色がかったブルーグレーだ。

装飾らしきものは、両肩に縫い付けられた奇妙なかたちのワッペンだけだった。逆三角形に並ぶ小円を、一つの大きな円が貫いている。その下には、きらきら光る紫の線が二本。ワッペンというより、肩章だろうか。

表面的には出血している様子はない。勿論どこかを打撲した可能性はあるが、とてもじゃないがこの服の上からではわからない。

「あの……、大丈夫ですか」

我ながらセンスのない台詞だと思ったが、それ以外にかけるべき言葉が見つからなかった。あの、もしもし、と更に三度繰り返し、これは救急車を呼ぶべきか、と思い始めたその時、少女のまぶたが、ばちりと音がしそうな勢いで開かれた。

瞳の、あまりの美しさに僕は一瞬息を詰まらせた。銀色の光彩に、深い青の線が放射状に入っている。こんな色の目を、これまで現実でも、テレビ画面の中でも見たことはない。

その綺麗な目が、ぱちぱちとしばたかれたと思ったら鋭く僕を睨みつけた。直後唇が動き――

「*********!!」

日本語ではなかった。英語でもない。僕の選択第二外国語であるドイツ語でも恐らくない。ただ、その声が、ぞくっとするほど澄んでいることだけは分かった。

「******――!?」

いつまでも聞いていたかったがそうも行かず、僕は間抜けな台詞第二弾を発した。

「ええと……何て言ってるか、わからない」

少女の眉が顰められ、首が傾げられた。視線が僅かに移動し、僕の顔の横あたりを見た。

「***……****……

信じられない、というように目が見開かれ、掠れた呟きが漏れた。しばしの沈黙ののち、少女は僅かに顔をしかめながら俺の腕から抜け出し、何のつもりか右手を僕の額にかざした。

その手首から手の甲にかけて、奇妙なブレスレットらしきものが嵌められていることに僕は気付いた。銀白色の金属製、細く刻まれた黒いモールドの中を、LEDでも仕込んであるのか青い光が走り回っている。

「***、****、***……

それまでの言葉も理解不能だったが、輪を掛けて奇妙奇天烈な音の羅列が、謳うような節とともに連ねられた。

途端、少女の右手全体が青く光った。皮膚の下にLED――あるわけはないよなあ、と思ったのも束の間、僕の脳の奥深くに、ざわめくような異様な感覚が生まれ、消えた。

「な…………

何だいまの!? と凍りつく僕に、少女が更に声を投じてきた。

……私の言葉が、分かりますか?」

「だから分からないって……え?」

それが完璧な我が母国語であることに、僕は約三秒のタイムラグを経てようやく気付いた。

「今、君……日本語を……? 何をしたの……?」

「分かるんですね? 脳の、プライマル?ロジック?レイヤーを連結しました。害はありません」

「ぷ……ぷらいま?」

単語は聞き覚えがあるが意味はさっぱりだ。そんな僕に苛立ったように、少女は身を乗り出し、急き込んで言った。

「それより、教えてください。この世界の絶対座標は? 属しているクラスターはどこですか?」

「ぜ……絶対? クラスター……? それは何……?」

まったく役に立たない僕の言葉を聞くと、少女の目が見開かれ、拳がぎゅっと握られ、そしてゆっくりと肩が落ちた。

……やっぱり……。なんてこと……未知世界なんだわ……

僕にとっては君自身が完璧に未知だ。

急に三歳ほども幼くなってしまったように、心細げな笑みをかすかに浮かべた少女は、力なくつぶやいた。

「では、汎連続宇宙協約に基づいた保護を……と言っても無駄ですよね」

「う、うん……そうみたいだ」

「なら……私はA級移相事故規則に従って、あなたに協力を求めます」

「ええと……それは、助けてほしい、って意味かな?」

「はい、それでだいたいあってます」

この前に、女の子に『助けて』なんて言われたのはいつだったろう、と僕は考え、もしかしたらこれが生まれて初めてかもしれないと思い当たった。大体が、僕は他人に助けを求めるほうなのだ。緊急事態に際して、周囲の人にどのように説明し助力を要請するか、というマニュアルは僕自身の頭の中にも存在する。

ならばこれは、困ったときはお互い様とでも言うべき状況なのだろう。例え少女が本物の異世界人だろうと、又は少し深刻なレベルで夢見がちな地球人だろうと――あるいは最悪、これが異様に手の込んだオレオレ詐欺のたぐいなのだとしても、そんな詐欺の片棒を担ぐほどにこの子は困った状況にあるという事なのだから。僕は落ち葉に尻餅をついた格好のまま、ぎこちなく頷いた。

「うん、いいよ。何をすればいいのか、さっぱり分からないけど」

少女の第一の要求は、僕以外の人の目に触れずに五標準単位時間以上滞在が可能な場所を提供してほしい、というものだった。五標準単位時間なるものを、幾らかの面倒な手順のすえに僕の時計で約十五時間相当だと換算したあと、僕はしばし考え込んだ。

半日ともなると、大学内のひと目につかない場所に潜りこむというわけにはいかない。と言ってホテル(ビジネスだろうとシティだろうとそれ以外だろうと)の部屋を取るほどの持ち合わせもない。

よって、さして検討の時間も要せずに、僕は自宅に連れていくしかないという結論に至った。勿論、僕の家でもいい? と控えめに尋ねたが、少女は迷う様子もなく頷いた。

「すみません、助かります。……そこは、遠いのですか?」

「いや、近いよ、すぐそこ。歩いても十分くらいだけど……ただ、その服はちょっと、目立つかな……

……確かに、あなたの装備とはずいぶん違うようです。同じ汎人類なのに……

「同じ……

ものすごい金髪の白人少女に、同じ人類と言われるのは感慨深いものだなあと思いながら、僕は着込んでいたコートを脱いだ。シンプルな黒いそれを少女に着せると、予想どおり足元ぎりぎりまでが隠れる。ついでに鞄から同色のニット帽も出して被らせたら、まだまだ目立ちはするが少なくとも映画から抜け出てきたかのような異質感だけは消えた。

「あの、あなたが寒くないですか?」

申し訳なさそうに尋ねる少女に、今日は暖かいから、と首を振る。それより君が暑くないかと訊くと、第一種装備には恒温機能がありますから、という意味がわかるようでわからない答えだった。

少し表の気配を確かめてから、少女を伴って九号館裏を出る。

すでに五限の講義が始まってだいぶ経つというのに、大学中央を貫く並木道には少なからず学生がたむろしていた。まずいなあ、と思いつつ足早に進もうとすると、少女にきゅっとシャツの袖を掴まれる。

……すみません、もう少しゆっくり……

どうやら、歩くだけでしんどいらしい。異世界転移は体力を消耗するのか、あるいは地球の重力が大き過ぎるのか――少々迷ったすえに、脇に手を回して支えると、ほっとしたように体重を預けてくる。

密着して歩く僕と少女に、学生たちから好奇の視線が飛んでくるのは必然と言えた。それらを掻い潜りつつ校門を目指すが、間の悪いことに、掲示板わきに同じ必修講義を取る男子学生数人がたむろしていた。

あっという間に取り囲まれてしまい、右腕に、少女の体がかたく緊張するのが伝わってくる。その子誰誰誰、と口々に訊いてくるのを何とかわしたものか、僕は戸惑った。明らかに東洋人ではない少女を、妹とも親戚とも言うわけにはいかないし、彼女というのもインパクトがありすぎる。

「悪い、ちょっと急ぐんだ」

そんな台詞を口のなかでもごもご言いながら強行突破しようとしたその時、学生の一人が煙草を咥えたまま腰をかがめ、少女の顔を覗き込んだ。

僕が何をする余裕もないうちに――

「****!」

長すぎるコートの袖に包まれた少女の右手がさっと掲げられ、聞き取れない言葉が短く発せられ、袖口のなかで蒼い光が一瞬閃いた。

直後、学生の咥えた煙草がぼわっ! と音を立てて燃え上がった。

「うわっぷぁあ!!」

悲鳴を上げて、男が小さな炎の塊を吐き出す。続いて焦げ臭い匂いと薄い煙を上げる前髪を必死に叩き、周囲の学生がそれを唖然として眺める中、今を逃せば機はないと悟った僕は「じゃあ、また!」と叫びながら半ば少女を持ち上げるように早足でその場を去った。

そのまま、五分ほども遁走したろうか。僕にしては限界に近い運動量に耐えかね、心肺が悲鳴を上げはじめたところで、ようやく人通りの少ない裏道に入ることができた。

少女から手を離し、ブロック塀に背中を預けて荒い息をつく。

「あ……あの、すみませんでした……まさかあんなことになるとは……

顔を蒼ざめた少女が、悄然と謝るのに軽く手を振り、しばし呼吸を整えるのに専念する。

「あの……大丈夫ですか? とても苦しそうですが……

……いや……だい……じょうぶ。すぐ……収まるから……

と言ったわりには、たっぷり三分近くもかけて僕の心臓はようやくそのビートを落とした。

「はぁ……ふう……。いや……僕も驚いたよ。さっきのは……一体、何?」

尚も心配そうに僕の様子を見つめていた少女は、ぱちぱちと瞬きしてから首を縮めつつ答えた。

「あ、ええと……標準的な防衛行動だったのですが……あの高熱源体は、もしかして武器ではありませんでしたか?」

「へ? 武器!?」

僕は息苦しさも忘れ、鸚鵡返しに声を上げた。

「まさか! あれはただの煙草だよ」

「タバ……コ。すみません、その言葉はレイヤー変換できないようです」

つまり、少女の元居た世界には煙草に相当する嗜好品が無い、ということなのか。それは実に羨ましいことだと思いながら、僕はしばし立ち尽くし、やがて力なく笑いながら言った。

「まあ、その……家はもうすぐそこだから、まずはそこまで行こうか」

僕の暮らす家は、築十年ほどの至って平均的な一戸建て住宅だ。家族構成は両親、僕、そして中学生の妹だが、平日午後早くのこの時間は予想通り無人だった。金食い虫の僕がいるために、母も近所の書道教室で講師のパートをしているからだ。

鍵を開け、入るよう促すと、少女は両手で奇妙な仕草をしてから敷居をまたいだ。

「あ、靴は一応……

持って上がったほうがいい、と続けようとして、僕は口篭もった。少女の足元は、スーツと完全に一体化したブーツに包まれている。どのように脱ぐものなのか、まったく見当がつかない。

「くつ……? ああ……

僕がスニーカーを脱いだのを見て、少女は言わんとするところを悟ったようだった。

「大丈夫です、この装備に異分子は一切付着しません。それとも……儀礼的に脱ぐべきですか?」

「いやいや! 汚れてないなら全然構わないよ」

実のところ、いまだに少女が異世界人であるという話を信じがたい気分は大いに残っているが、先ほどの煙草爆発の一件を取っても、とてもトリックだとは思えない。どうせ僕あるいは家族を騙したところで得るものはほとんどないのだ、全面的に信じておいたほうが気が楽だというものだ。

廊下に上がった少女をとりあえずリビングに案内し、コートを受け取ってからソファーに座らせると、僕はその向かいに腰を下ろした。ふうー、と長い息を吐いてから、改めて少女の顔を見る。

失礼かなあと思いつつも、ついまじまじと凝視してしまうほど人間離れした美しさだ。細く尖った輪郭に、高く小さな鼻、薄めの唇はどこか青みを帯びたピンク。しかし何よりも印象的なのは、やや吊りあがりぎみの大きな瞳が放つ、銀に青を溶かした色の光だ。

少女はしばらく不思議そうに僕の視線を受け止めていたが、やがて思い出したように頭に手をやり、黒いニット帽を脱いだ。

「これもお返しします。ありがとうございました」

「いや、いいんだ」

差し出された帽子を手に取るあいだも、僕はふわりと広がった少女の髪から眼を離せない。ゆるく波打つ髪は背中の中ほど近くまでもあるだろうか、蛍光灯の下で仔細に見ると、これもいわゆる白人の金髪とは微妙に違う色に思えてくる。やはりこの子は、本物の……

――――!?」

その時、少女がそっと払った髪の毛の間から、ぴょこんと飛び出してきたものに僕は絶句した。

耳だ。

耳なのだろう。しかし、異様に長い。付け根から先端まで十センチ近いだろう。耳たぶがやたら長い人間は稀にいるが、上方向に長いのは見たことがない。

いや――無いこともない。と言うよりも、いっそメジャーであるとも言える。無論それは、ある種のフィクションの中においてのみ、ではあるが。

「み――みみが……

僕がそう呟くと、少女は瞬きしてから自分の耳に手をやり、何故か恥ずかしそうに首をすくめた。

「はい……私も、あなたの耳が小さいので大変驚きました。他の身体構成はよく似ているのに、耳だけが……私の属する中央クラスターから、相当に離れている世界なのでしょうが……

本物、なのだろうか。そうとしか見えないが、もしあの耳が本物なら、僕の疑念は99%以上解消されることになる。幾らなんでも、悪戯や詐欺のために手術で耳を伸ばす人間はいるまい!

「あの……ええと、もし失礼でなければ、だけど……その耳、ちょっと触らせてもらっていいかな」

「えっ」

僕の申し出を聞いた少女は、眼を丸くし、耳をぴょこんと動かし、しばし沈黙した。

やっぱり失礼だったのだろうか、そりゃそうだろうなあと内心焦っていると、やがて体を縮めながら頷いた。

……やはり、未知の……いえ、閉鎖世界の方にはなかなか信じられない話ですよね。いいですよ……それで幾らかでも信用していただけるなら、どうぞ確かめてください」

「い、いやその、疑ってるわけじゃないんだけど……ちょっとその、興味が」

もごもごと言い訳と口にしながら、僕はソファーから降下し、膝立ちのまま少女の傍らへと移動した。間近で見ても、作り物めいたところは一切ない。ごくごく細かい産毛がきらきら光っているところといい、血の色が透けているところといい、長いことを除けば僕らの耳とまったく同じ程度に本物だ。

「そ、それじゃ、ちょっと失礼して……

おそるおそる手を伸ばし、そっと尖った耳の先端に触れると、少女はぴくんと体を動かして更に小さく縮こまった。しかしその様子を慮る余裕はもう僕にはなく、指先で薄い耳介を挟み込むとふにふにと揉んでみる。

ひんやりとしているが冷たくはない。弾力があり、ちゃんと皮膚、組織、軟骨の感触もある。その上、ぴくぴくという動きもはっきり伝わってくる。

これは本物だ。本物の――

「エルフ……?」

呟いたとたん、少女がはっと顔を上げた。何故か頬を真っ赤にした少女は、青銀色の目で俺をまじまじと見つめ、同じく小声で呟いた。

「何故……私達の種の名称を? いえ……概念をレイヤー変換したのだとすれば……この世界にも、エルフが存在する……?」

「や、いやいや居ないよ」

僕は慌てて少女の耳から手を離し、それを左右に振った。

「少なくとも、現実には居ない。ただ、ある種のファンタジー……物語の中にはよく出てくる。細身で金髪、耳が長い……ちょうど君みたいな種族が」

「物語……伝承、ですか。なるほど……事故とはいえ私が移相してきたくらいですから、過去にも同じ例があったのかもしれませんね」

それもどうだろう、と僕は内心で首を捻った。現在僕らが抱いているエルフのイメージというのは、二十世紀中盤のあのファンタジー文学の開祖が創作したもの、というのが通説だからだ。

しかしもしかしたら、その開祖様もこの子と同じ種族の誰かと接触があったのかもしれない。よって、僕は小さく首肯した。

「そうだね。しかし……ってことは、もしかしたら君の世界にはドワーフなんかもいたりするのかな」

何気なくそう口にした瞬間、少女の顔が別人のように厳しく引き締められた。瞳にきらりと鋭い光が過ぎる。

「ドワーフ……も登場するのですか、この世界の伝承には」

「う、うん。エルフと同じくらいの頻度で……――そっちの世界にもいるんだ、ドワーフ?」

答えはすぐには返ってこなかった。少女はしばし何か黙考しているようだったが、ふうっと小さく息をはき、表情を和らげて言った。

「それは、後ほど説明します。その前に……あなたのお名前を伺ってもいいですか? 個体識別名は……ありますよね、この世界にも?」

「ああ……もちろん、あるよ。そうか、自己紹介もまだだったんだ。ええと、僕は、周一郎。来島周一郎」

「シュイッチロゥ?クドゥシマシュチロゥ」

――僕の耳には、女の子の発した音がそう聞こえた。

……随分と長い名前なんですね?」

「い、いや、名前は周一郎だけで……いや、それでも長いな。ええと、じゃあ、シュウ。僕のことはシュウって呼んで」

「シュウ。シュウですね。それなら覚えやすいです。――私の名前は、シルドナクルボルルベンです」

再び、僕の耳には、少女の声がそう聞こえた。

「し……しるど……な?」

頭を掻きながら覚束ない口調でそう訊き返すと、少女はにっこり笑って言った。

「これも長いですよね。シルでいいです。私のことはシルとお呼びください」

「シル」

これなら、エルフの名前と言われても納得できる感じがする。何度か口の中でその音節を転がしてから、僕は元のソファーに戻り、意味もなく両手を打ち合わせた。

「よし、じゃあ、シル。君の最初の要請……五標準単位時間滞在できる場所、はこれで提供できたと思う。夕方になったら、二階の僕の部屋に隠れてもらわないとだけどね。で……次の要請はあるかな?」

少女――シルという名の異世界人、またはエルフは、おそらく謝意を示すのだろう仕草を両手で行ったあと、口を開いた。

「ほんとうにありがとうございます。未知世界で協力を要請しても、即時の対応を期待できる可能性はごく低いと教わっていましたので……私はおそらく、最初にシュウと会えて幸運だったのでしょうね」

にこり、と笑い、続ける。

「では、すみませんが、水を十容積単位……ええと、これくらい戴けませんか」

「ああ、そうか! お茶も出してなかった」

反射的に立ち上がってから、はたと、この世界のお茶をはたして異世界のエルフが飲めるものだろうか、と思う。やはり、水というからにはそのまま水のほうがいいのだろう。そこで再び、シルの言う水とこの世界の水は同じものなのだろうかという疑問が浮上する。

「ええと……水、というのはその、無色透明無味無臭の液体で……えー、具体的には、水素二つと……

「酸素一つですわ、もちろん」

うふふと笑うシルにぎこちない笑みを返して、僕は奥のキッチンへ向かった。

ついつい混同しそうになるが、シルはいわゆる宇宙人ではないのだ。異世界人……僕の語彙中でより詳細を期すならば、平行世界人と言うべきだろうか。このイメージが正しいのかどうかは分からないが、僕が暮らすこの世界とほんの少しだけ異なる世界が隣接しており、さらにもう少しだけ違う世界がそのまた向こうにある、それをずーっと、ず――っと遠くまで渡っていった先に、シルたち耳が長い人間たちの暮らす世界が存在するということなのだろう。だから、水だの鉄だのといった世界の基本構成物質は共通、なのだ。

シルが両手でこのくらい、と作ってみせたのとほぼ同じ大きさのグラスに、冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを注ぎ、リビングに取って返す。

「はい、水。あー……多分、ぜんぜん純粋じゃないけどだいじょうぶかな? 金属分とか結構入ってるかも……

「ええ、問題ありません。私の世界の水もそうですし、どのみち除去しますから……

コップを受け取ったシルは、つめたい、と呟きながらそれを眼前のテーブルに置いた。

てっきり飲むのだろうと思ったが、あにはからんやその上に、例のブレスレットが嵌まった右腕をかざし、例の不思議な言葉――呪文?――を唱える。

「***……**、****……

ブレスレットのモールドが鮮やかな青い光に満たされ、続いてコップのなかの水までもぼんやりと輝きだすのを見ても、もう僕はさして驚かなかった。とは言え、数秒後、コップから薄く湯気がのぼりはじめたのには結局口をあんぐり開けてしまったのだが。

魔法(あるいは超テクノロジー)で水をお湯に変えたシルは、上着のふところから薄いケース状の箱を取り出し、蓋を開けて小さな錠剤のようなものを摘み上げた。ぽとんとコップに落とすと、たちまちしゅわしゅわと泡立ち、お湯が薄緑色に染まっていく。

「すみません、必須物質の補給だけさせていただきます」

コップを手に取りながらそう言うシルに、僕はいそいで頷いた。

「ああ、どうぞどうぞ! ……ていうか、お湯が必要なら言ってくれれば沸かしたのに」

どうやら味は考慮されていないらしい緑色のぶくぶくいうやつを、眉をしかめながら一息に飲み干したシルは、うぷうーと小さく喉を鳴らしてから顔を上げた。僕の言葉をどう解釈したのか、目を丸くしてぶんぶん首を振る。

「いえ、そんな、とんでもない! そのような大それたお願いをする訳には……

「へ……? 大それた……ことはないけど、何も」

「え…………

どうやら、水をお湯にするという行為に関して、何か大きな理解の相違が存在するらしい。言葉でどう説明しようかあれこれ考えてから、実例を見せるが手っ取り早いと考えた僕は、立ち上がるとシルを手招きした。

台所まで案内し、調理器具などをあれこれ珍しそうに眺めているシルに、小さな手鍋を示す。

「この入れ物に、こうして水を入れて……

蛇口から適当に水を注いだ鍋を、ガスコンロの上へ。

「火を点ければ、すぐにお湯になるよ。君の世界でも同じじゃないの?」

言いながら、コンロのスイッチを押す。ぱちぱちとプラグが鳴き、ぼっと音を立ててガスが点火され――次の瞬間、シルが悲鳴を上げて飛び退った。

「きゃあああ!?」

「わっ、え、え!?」

「な……シュウ、何してるんですか、危ない!!」

ガスコンロに、右手のブレスレットを向けようとするシルを、僕は慌てて押し止めた。あの煙草のように、コンロごと爆発させられたらえらいことだ。

「危なくない、危なくないよ!」

「で、でも、非制御下燃焼がっ……

「へーき、へーきなの! 制御されてるから!」

なおも何かおそろしげな魔法を使おうとするシルを、どうにか落ち着かせるのに、たっぷり一分ほどもかかった。ようやく右手を下ろしたシルは、甚だ疑わしそうな表情で、遠くからじっとガスコンロの炎を覗き込んだ。

「容器の金属は赤熱していない……。これは……一体、何が燃焼しているのですか?」

「何って……都市ガスだよ」

「ガス……? 気体……可燃性の……? そんなものが、民間住居に供給されているなんて……――この可視炎の温度は何単位なのです?」

銀の瞳を見開いて炎を凝視するシルの、言葉の意味は分かれど相変わらず認識には大きな距離差が開いているようだ。僕は記憶の片隅をひっかきまわし、幼少の頃の社会見学で得た知識を苦労して引っ張り出した。

「えーとね……炎の温度は二千度くらいだったかな……って、君の言う温度単位って、一単位がどれくらいの暖かさなのかな?」

「あ、すみません。私達の平常体温が十熱単位です」

「ということは……

先ほどぷにぷにしたシルの耳は、僕の指より少しばかり冷たいようだった。彼女の体温はだいたい三十三度と当たりをつけると、二千割る三十三は約六十、それに十を掛けて……

「んーと、この炎の温度は六百熱単位……ってことになるかな。あ、でもガス自体の発火点はもっと低いよ。確か四分の一くらいだから……百五十単位だね」

僕の答えを聞いたとたん、シルが鋭く息を吸い込み、両手で口許を覆った。

「まさか!! 超低温燃焼体……しかも、こんなに潤沢に……

「へ? 低温……じゃないよ、ぜんぜん。触ったら一瞬で火傷するよ」

「あ、ええ……それは……そうなのですが……相対的な表現として……

シルは、ようやく炎から視線を外し、ふう、と肩の力を抜いてこちらに顔を向けた。強張った笑みを薄く浮かべ、小さく首を振る。

……もう、消火して構いません。……やっと、シュウの世界のことが少し分かったような気がします……

「そ、そう?」

僕には君の世界のことがさっぱり分からないよ、と思いながらコンロのスイッチを戻す。ぽこぽこ言い始めていた手鍋の中の水が沈黙し、もわっと湯気が上がる。

リビングに戻ると、シルは疲労感を滲ませながら半ば倒れるようにソファーに沈み込んだ。

「だ、大丈夫?」

「ええ……ごめんなさい、少し驚いてしまったもので……。外を歩いているときも、この住居にお邪魔してからも不思議に思っていたのですが、ようやく理解できました。この世界には有機物……つまり炭素骨格化合物が非常に豊富に存在するのですね? ほとんど無限と言ってもよいほどに……この寝椅子も、住居の床も柱も……シュウの服や、窓の向こうに見える樹木までが……

「炭素……そりゃ、もちろん。いちばんありふれてる元素じゃないか。さっきのガスだってそうだよ。炭素一つに、水素四つ」

僕の言葉に、シルはすぐには答えなかった。ごくかすかな笑みを浮かべたまま、ソファの生地を右手でそっと撫でている。

やがて出てきた言葉は、春先の雨垂れのようにひそやかだった。

……私の属するクラスター……連続宇宙体では、そうではないのです」

「そうではない……って……

「炭素というものが、ごくごく稀少なのですよ。存在する炭素原子の九十九パーセント以上が、私たち人間の肉体と、摂取するための循環型食料及び生産プラントで占められています。それ以外の生命は全て金属系か珪素系……もちろん、先ほど見せていただいたような炭素系燃料など全くと言っていいほど存在しません」

「え……ちょ、ちょっと待って、それはおかしいよ。もしそんな宇宙なら、そこに発生する人間……知的生命は、やっぱり金属の体を持つようになるのが自然じゃないの? でも、君は、どう見ても僕と同じ炭素型の生命だ。……大体、文明の発達には炎が必須だと思ってたけど……燃料なしに、どうして平行宇宙を移動するような超文明が……?」

シルはこくりと頷き、そのとおりです、と言った。

「私たちエルフ、そしてもうひとつの種族が発生した"原初宇宙"――もうずっと太古に失われてしまいましたが、そこにはシュウの世界ほどではないとは言え有機生命の発生が起こりうるほどの炭素が存在していたと言います。しかしその量は、文明のブレイクスルーを促すに足る炎を生み出せるほどではなかった。かわりに……私たちの祖先が見出し、利用したエネルギー源が、これです」

シルは右腕を伸ばし、大きなブレスレットの裏がわを僕に見せた。左手の指先で一本のモールドをなぞると、かすかな音とともに薄い金属板がスライドし、ブレスレットの内部が露わになる。

黒い基材に、小さな蒼い宝石が埋め込まれているのが見えた。宝石、と言ってもサファイアのような透明感ではなく、わずかに透き通った、青みを帯びた銀……という感じだ。シルの瞳によく似ている。

あずき粒ほどの大きさのその石から、放射状に青い光が放たれ、ブレスレット各所のモールドに導かれているようだった。

「ミスリル、という名の鉱物です」

パネルを閉めながら、シルが言った。聞き慣れた単語に、僕はぱちくりと瞬きをする。しかし、シルは僕の驚きには気付かなかったようで、俯いたまま言葉を続けた。

「薄く光っているのが見えましたか? この石は、隣接する連続宇宙と量子的に共振する性質を持っているのです。例えるならば、いくつかの世界にまたがって存在する物質……とでも言いましょうか……。あらゆる物質は、極微レベルでは似たような振る舞いをするのですが、その性質をマクロレベルでも示すのがミスリルなのです」

意味はまったく、完璧なまでに分からない。

しかし、懸命に説明してくれるシルに悪いので、僕は必死に想像力を働かせながら頷いた。

「このミスリルを利用することで発達した技術……それが、私たちの文明の根幹を成している、"量子シフト技術"です」

「量子……シフト……?」

にこりと微笑み、シルは頷いた。

「そうです。簡単に言えば、あらゆる物質の状態を、原子レベルで直接制御するのです。加熱、冷却、分解、結合……

言いながら、テーブルの上に右手の人差し指を伸ばし、何のつもりか一点をちょんとつつく。差し出してくるその指先に、ごくごく小さな白い粒がくっついているのに僕は気付いた。

「あ……ごめん、ごみがあった?」

「いえ、先ほど頂戴した水から、量子シフトで分離したミネラル分です」

「な……

度肝を抜かれるとはこのことだ。

ということは、ナンパ学生の煙草を爆発させたのも、水をお湯に変えたのも、互いの言葉を理解できるようにした魔法までが、全てがその量子シフトなる超テクノロジーの成せるわざ……ということなのか。

「凄い……。つまり、文明レベルでは、君の世界はこの世界より遥か先に進んでいるってことになるんだな。化石燃料に依存しない世界なら、それを奪い合って戦争する必要もないし……

僕が考えなしにもそう呟くと、シルは苦笑しながらかぶりを振った。

「何を言ってるんですか、シュウ。エネルギー資源に依存している意味では何ら変わりませんよ。それが炭素化合物だろうとミスリルだろうと」

「あ……ああ。そ、そうか」

照れ隠しに頭をぽりぽりやってから、僕も苦笑に紛らせて尋ねる。

「つまり、そのミスリルもそれほど無尽蔵に存在するって訳じゃないんだ? この世界の化石燃料と同じく」

「稀少、とまでは言いませんけどね。民間に安定供給した余りで、無意味に大きい宇宙航行艦を何隻も飛ばせるくらいはあります。それよりも、問題はやはり炭素のほうで……。私たち人間が有機生命体である以上、炭素を含む物質を食べなければ生きていけませんから」

「そうか……じゃあ、やっぱり、その……戦争はあるんだ、君の世界でも?」

「ある、なんてものじゃないですね……それが全てと言ってもいい」

シルは長い金色の睫毛を伏せ、儚げな笑みを浮かべた。

「原初世界において、私たちエルフの祖と、そしてもう一種、大きく異なる肉体的特徴を備えて進化した人類は、地表のごく一部の炭素を含む領域……つまり炭素系植物を育て、炭素系家畜を飼うことのできる土地を巡って争いました。はじめは剣と弓で、やがてミスリルを利用した原始的な量子シフト技術を用いて。テクノロジーの進化に伴い、戦車が、飛空艇が生まれ、宇宙空間までも飛べる宙航艦が実用化され……それでも戦争は終わらなかった。他の惑星や、更には他恒星系にも、充分な量の炭素は見出されなかったのです」

…………

あまりにスケールの大きな話に、僕は呆然と聞き入るばかりだった。ミスリル製の魔法の武器を携え、宇宙戦艦に乗って星の海を往くエルフの軍団。一度でいいから見てみたい、と思わずにはいられない壮麗なイメージだ。

しかしシルは、深く長いため息をつきながらもう一度ゆっくりと首を振った。

「ですが、言ってみれば、原初世界の中でのみ争っていた古代はまだしも穏やかな時代だったのです。古代歴を終わらせ、血塗られた中世の始まりを告げたのが……エルフ科学者の生み出した、量子シフト技術の精髄にして究極、世界移相

プレーンシフト

です」

「それが、つまり……連続宇宙にジャンプする技術なんだね? 君がこの世界に飛んできた技術……?」

「そのとおりです」

「そして、君はこの世界の豊富な炭素化合物を見て驚いた。ということは、君のご先祖様たちが版図を広げた他の宇宙にも、炭素はほとんど無かった……

「それも、そのとおりです。察しがいいですね、シュウ」

シルは頬にかかった髪をそっと払い、長い耳をやや垂れさせた。

「ほとんど無かった、というよりゼロに等しいと言ったほうが正確でしょうね。父祖たちが原初宇宙からシフトした先には、炭素系の生命自体存在しなかったのですから。それでも、幾つかの恒星系で、結晶のかたちで炭素を採掘することはできたようです。彼らはその炭素から有機土壌をつくり、多くのコロニー都市を建設しました。そこで止めておけば……世界移相技術を封印し、エルフだけの世界を作って閉じこもればよかったのです。しかし父祖たちはそうしなかった。人口を増やし、軍備を拡大し、もうひとつの人類に根絶戦争を仕掛けたのです。愚かなことです……愚行の極みです」

……その、もうひとつの人類というのが、さっき言った……

「はい、ドワーフです。頑健屈強な肉体と、エルフには生えない髭を持つ……しかし、同じ汎人類……。その時点ではエルフの軍艦のみが装備していた移相機関による奇襲を受け、ドワーフは絶滅寸前まで虐殺されました。たった一ヶ月で、軍民あわせて二億人以上のドワーフが死んだと記録されています。しかし……彼らのごく一部は地下深くに潜り、生き残った。そこで鹵獲したエルフ艦を研究し、世界移相技術を解明して、エルフの手の及ばない遠い遠い世界まで落ち延びた……

……そして、同じことが繰り返された、というわけか……

「はい。ドワーフは長い、長い年月を掛けて戦力を蓄え、しかしエルフへの恨みは薄れさせなかった。一時の平和を謳歌していたエルフ世界は、ドワーフ軍の逆襲を受けて、こちらも数億人の犠牲を出しました。この時点で――和睦の可能性は、完膚なきまでに消え去ったのです。どれほど文明が進歩しようと……エルフはドワーフへの、ドワーフはエルフへの憎しみを捨てることはなかった……

…………

やりきれない話――ではあるものの、しかし、僕ら人間だってまったく同じことをこの数千年繰り返しているのだ。炭素生命の限界、と言ってしまうのは悲観的すぎるかもしれないが。

シルも、美しい瞳に諦めとやるせなさの入り混じった光を浮かべ、じっと僕を見た。

――以来、およそ三万五千年に渡って、私たちは終わりのない戦争を続けています。もう、どちらかの勝利による決着は絶対に有り得ないと、双方とも完全に理解しているにもかかわらず……

「有り得ない……のかい?」

「はい、絶対に。既知世界は三百クラスター?十万宇宙に及び、展開する軍団はエルフ二百七十億人に対してドワーフ三百億人に達しているのですから。どれほど強力な兵器を用いようとも、それだけの規模の軍を殲滅することは不可能です」

……さんびゃ……

またしても絶句させられる。

自分の世界の話を始めた頃から、どことなく疲れた気配を漂わせているシルの両肩の紋章に、僕は目を留めた。青く煌めく二本の線が、ただの装飾目的の意匠ではないことに、遅まきながら気付く。

……そうか。君も……軍人なんだ」

……ええ」

シルは僕の目に視線を合わせたまま、ゆっくりと頷いた。

「先ほどの"タバコ""ガス"に過剰反応してしまったのはそのせいでもあります。私の経験では、発火するほどの高熱で燃焼するものはほとんど破壊兵器に類するものなので……。士官学校を卒業して、もう三年も経つのにさっぱり軍務に慣れる様子がありません」

にこ、と笑ってから、背中をソファーに深く預け、どこか遠くを見るように瞳を彷徨わせる。

……撤退戦の最中、でした。私の乗った偵察宙航艦が、ドワーフ軍の駆逐艦の至近にシフトしてしまって……連続宇宙を無作為移相して離脱を図ったのですが、振り切れず、已む無く艦を捨てて乗員各個にパーソナル?シフトせよとの命令が下ったのです。しかし、私がシフトしようとしたまさにその瞬間、艦のミスリル反応炉が被弾し……その爆発が私のミスリルと共振して、私は宇宙連続体から弾き飛ばされてしまったようです。通常、そのようなA級移相事故が起きると、シフト者は非連続空間を永遠に彷徨うことになるのですが……ごく稀に、未知世界に辿り着く例もあると聞きました。私は幸運……だったのでしょうね。……あるいは……

……あるいは?」

「いえ……。虚空間をどこまでも落ちているとき、誰かの呼び声を聞いたような気もしたのです……もしかしたら、シュウが私を呼んだのかも」

いたずらっぽい瞳を向けられて、僕は小学生のようにどぎまぎした。どうにか内心を押し隠し、こちらも芝居じみた笑みを浮かべてみせる。

「そうかもね。あの時、何か面白いことないかなーって思ってたから」

「まあ。私は"面白いもの"ですか?」

互いに声を立てて笑ってから、ふと壁の時計を見ると、いつの間にか短針が水平から斜め下方へと向きを変えようとしていた。

「あ、まずい。そろそろ妹が帰ってくるな……

「あら、それはぜひご挨拶を……

「いや、いやいや! やめといたほうがいいよ、ほら、あいつ受験だし」

僕は慌てて両手と首を横に振った。まあ、妹さんも士官候補生に、などと感心したように呟いているシルの誤解はあえてそのままにして、ソファーから身を起こす。

「そんなわけで、済まないけどあとは二階の僕の部屋に居てくれるかな。ここより狭いし散らかってるけど……

「はい、了解致しました」

僕に促され立ち上がったシルは、その途端、う、と短く声を漏らして左腰のあたりを押さえた。傾きかけた体を、慌てて伸ばした手で支える。

「ま、まだ疲れて……いや、シル、もしかして怪我してるんじゃ……!?」

「へ……平気です」

とシルは囁いたが、白を通り越して蒼ざめた頬がその言葉を裏切っていた。僕は意を決して華奢な体を両腕で持ち上げ、二階へ続く階段に足早に向かった。

「あ……あの、シュウ……

「しゃべらないで。すぐ手当てをするから」

シルは、この世界の人間と比べるまでもなく細身だが、さすがに兵士というだけあって引き締まった体は見た目以上に重かった。虚弱な僕にはたった十二段の階段が少々堪えたが、足を止めることなく二階奥の自室まで辿り着き、肘でドアを開けて中に入った。

シーツと上掛けを洗ったばかりで良かった、と思いながら、狭いベッドにシルの体を横たえる。

「はっ……はぁ……

胸を押さえ、情けなくも上がった息を整えていると、枕に頭を乗せたシルが、訝しそうな顔で僕を見た。

「シュウ……あなた……もしかして……

「いや……大丈夫、なんでもないんだ。それより君だよ、怪我をしたのはどこ?」

「あ……はい、シフト前に、艦内に侵入してきたドワーフ軍の自律殲滅機兵にここを撃たれて……威力の大部分は中和したのですが……

左脇腹のあたりを押さえるシルの手を外させ、傷を確かめようとしたところで、僕は戸惑った。シルの、青灰色のボディスーツには確かに焼け焦げたような痕が残っているのだが、それをどう捲っていいのかわからないのだ。ボタンやファスナーの類いがどこにも見当たらない。

思わずシルの顔を見やると、異世界の少女は垂れさせた耳をうすく染めて壁のほうを向いていたが、やがて左手を持ち上げると、指先でスーツの焦げ痕付近を縦になぞった。

途端、どこにも継ぎ目なんか無かったはずの生地が、すっと音もなく裂けて僕を驚かせた。肋骨の下から腰骨の上あたりまでの肌が露わになり、その輝くような滑らかさに僕は反射的に目を背けかけたが、脇腹に刻み付けられた惨たらしい傷痕を見た途端思わずうめいていた。

……酷い……

直径五センチに及ぶ広さで、肌が赤く焼けただれている。中央付近は炭化しているほどで、いったいどれくらいの高熱に晒されたのか、見当もつかない。

「シル……今すぐちゃんと治療しないとだめだ。筋肉か……ヘタすると内臓まで傷ついてるかもしれない。早く医者に見せたほうがいい」

「いけません」

左手で僕の腕を押さえ、シルが強い口調で言った。

「私が不特定多数の人間の目に触れれば大きな混乱が起きます。シュウにも大変な迷惑がかかるでしょう。ただでさえ、先ほど既に騒ぎを起こしてしまっているのですから……

「大学の連中なんて、どうにでも言い訳できるよ。でも、こんな大怪我を放置して、もしものことがあったら取り返しがつかないじゃないか」

急き込むようにそこまで言ってから、僕はあることに気付いた。あらゆる物質を自在に操作するシルの"魔法"、その対象には生物の肉体だって含まれるのではないか?

「そうだよ……シル、量子シフトで傷は直せないのか? 脳を操作して自動翻訳機能をつけられるくらいなんだから……

…………

僕の言葉を聞いたシルは、何故かすぐには答えようとしなかった。軽く唇を噛み、視線を逸らす。

……可能ではあります」

数秒後、掠れた声でシルは言った。

「組織を賦活することで治癒を促進するコマンドも、この"エンフォーサー"には搭載されています。しかし、均質分子で構成される水や金属を操るのと、多様な細胞や体液で構成される人体を操るのでは、エネルギーの消耗度が段違いなのです。これ以上ミスリルチップを消耗すると……

銀のブレスレットを軽く撫で、シルは続けた。

――足りなくなってしまうかもしれない……私の世界に帰還するのに……

…………

今度は僕が言葉を失った。

そうか――戻るのか。今更のように、胸中でそう呟く。

当然だ。シルにとっては、ここは何一つ見知ったものなどない文字通りの異世界なのだ。元の世界にはシルの生活があり、歴史があり、軍人としての任務がある。家族もいるだろうし――もしかしたら、恋人だって。

そんな明白な事実に、これまで僕は一度として思いを致そうとしなかった。この不思議な出来事は、この数年というもの運命を呪い続けてきた僕のために用意された贈り物なのかも、などと、おこがましくも思い込んでいたのだ。

……その決断には、僕は何も言えない」

内心のショックを包み隠し、僕はじっとシルを見た。

「元の世界に戻るのは、君にとってはとても重要なことだろうしね。でも、これは僕の個人的な意見だけど、君には君自身を一番大切にしてほしい。生きてさえいれば、大抵のことは何とかなるんだからさ……

六畳の狭い部屋に、しばしの沈黙が満ちた。窓から差し込む冬の西日はすでに色を変え、壁の木目をオレンジ色に染めている。

シルは、物問いたげな目でじっと僕を見ていたが、やがてぽつりと言った。

……わかりました。確かに、生命の保持が今の私の第一任務ですし、ね」

続けて右手を上げ、唱えた呪文は、これまでのどれよりも長かった。"エンフォーサー"のモールドが強い燐光に満たされ、その輝きがまるで雫のように傷口に吸い込まれていく。

炭化していた皮膚が、まるでかさぶたのように剥がれ落ち、赤く爛れていた周辺部にも薄く膜が張ったあたりでシルは右手を離した。まるで奇跡のようなその光景に、声もなく見入っていた僕は、シルの声にはっと顔を上げた。

「最低限の……治療を施しました。これで、生命維持上のリスクは消滅した……はずです」

「そうか……よかった。……ねえ、シル……

今の魔法を使えば、もしかしたら、僕の――

しかし、口篭もった僕は、その先を結局言葉にはしなかった。こんな奇跡的な出来事に、生々しいエゴを持ち込みたくはなかったのだ。

……? なんですか、シュウ?」

「いや……その、なんだかあんまり楽になってなさそうだなって……

「ああ……今のコマンドは……局所的な損傷を治癒する、かわりに……全身に生理的負荷を……かけるのです。大丈夫、すぐ収まります……

「でも、顔が赤いよ」

手を伸ばし、シルの額に触れた僕は、その熱さに驚いた。

「! ……すごい熱だよ、ほんとうに大丈夫なの?」

「ええ……すみません、少し……眠らせて、もらいます」

消え入るような声でそう囁き、シルはすうっと瞼を閉じた。

数秒と経たずに、エルフの少女は眠りに落ちたようだった。僕は、自分のベッドの上でかすかな寝息を立てる妖精じみた可憐な姿に、数秒間見入ってから、その体を上掛けで覆い、冷水とタオルを取りにいくために立ち上がった。

夕方に相次いで帰宅した妹と母親に、風邪ぎみなので部屋で寝ていると声を掛けておいて、僕は夜半までずっとシルの看病を続けた。

階下で家族が賑やかに食卓を囲む音を聞きながら、物語の世界からこぼれ落ちてきた女の子の額のタオルを変えるのは何とも不思議な気分だった。現実と非現実の狭間、というのは多分こういう状況を指すのだろう。豪奢な金髪や、そこから突き出た長い耳は幻想的としか表現できないのに、水に浸すために額から持ち上げるタオルの温さはなんともリアルなのだ。

ちょうど、こんな感じだったかな――

三年前の僕を捕らえて離さなかった、いや今でも日々感じている違和感と、目の前の状況をつい重ねたくなる。

高校に入学した頃から、ちょっとした運動で息切れしたり、訳もなく動悸が激しくなったりするようになった僕は、母親に連れられて近所の内科医を訪れ、すぐさま大きな大学病院を紹介されて精密検査を受けた。

拡張型心筋症、という名前は初めて聞くものだった。多分親もそうだったろう。

診断前の世間話で、中学時代は陸上部のレギュラーだったと語った僕を憐れんだのか、医者は病理については説明したものの予後については詳しく教えなかった。しかし、こんな時代である。自宅のパソコンで検索した僕は、ほんの数分で必要以上の知識を手に入れた。

僕の心臓は、遺伝子の異常か又はウイルスのいたずらで、拍動するための筋肉が薄く延びはじめていたのだった。そのせいで心室が肥大し、充分なポンプ機能を果たせなくなりつつあったのだ。

この病気は薬では治せない。治療法は、心臓移植か、あるいは肥大した部分を切り取って小さく縫い直すという危険な手術を受けるほかにない。放置すれば、成人では半分の人が発症から五年後あたりに致命的な心不全を起こす。

心臓が壊れてしまったので、そのうち止まる。

――という現実の持つ非現実感はそれは凄いものだった。あれから三年が経った今でさえ、これはほんとうに現実なのかな、という感覚に僕は常に襲われている。

いや、より表現に正確を期すならば、僕はいつも心のどこかで、これは本当の現実ではないと自分に言い聞かせているのだ。どこか別の――そう、僕が病気に掛からなかった平行世界では、僕は高校でも陸上を続け、県大会の決勝あたりで夢破れて、しかし大学でもしつこく走るのを止めていないはずだ、という仮定に心の半分を遊ばせている。

だから、シルが、シフト事故が起きたときに誰かに呼ばれた気がした、と言ったとき僕は内心でどきっとしたのだった。常に別の世界と共振しているという魔法の金属ミスリル、それはまるで僕自身のメタファーだ。別の世界に行きたいと叫び続けていた僕が、シルを引き寄せてしまったのではないか――

その結果、僕は今、ついに本物の"現実と非現実の境界"に立っている。

シルに頼んだら、彼女はうんと言うだろうか? エルフの世界に戻るとき、僕も連れていってくれるだろうか……? 量子シフト技術なる魔法なら、僕の心臓だって苦もなく治せるだろう。病気のことを全て打ち明け、涙ながらに頼んだら、シルはだめとは言わないんじゃないのか……

ふと我に返ると、家のなかはしんと静まり返り、窓の外は真っ暗になっていた。

ぼんやりと光る目覚まし時計の針は、午前二時を示している。

シルは、五単位時間――十五時間どこかにかくまって欲しいと僕に言った。あれが確か昨日の午後一時少し前だから、そろそろ十三時間が経過したことになる。

機械的に変えつづけていたタオルを取り除け、額に触ってみると、ほっとしたことに熱はほとんど下がっているようだった。僕は声をひそめ、そっとシルの耳に声をかけた。

「シル……シル」

………………

長い耳がぴくぴくと上下し、睫毛がゆっくりと持ち上がって、煙るような青銀の瞳がぼんやりと僕を見た。

……ここは…………――ああ……そうでした、シュウの部屋ですね……

「うん。気分はどう?」

「ええ……ずいぶん、良くなりました。もしかして……ずっと、看ててくださったのですか?」

「や、僕もちょっとうとうとしたから」

上目遣いで済まなさそうにこちらを見るシルに、僕は微笑みながら首を振った。それより、と時計に視線をやる。

「そろそろ、君が落ちてきてから四単位時間と少し経つみたいだけど……

「えっ、私、そんなに寝てましたか」

目を丸くし、シルはベッドからがばっと上体を起こした。

「む、無理しないほうがいいよ」

「いえ、もうぜんぜん平気です。なんだか……ずっと、小さい頃の夢を見てました。お母様がまだ生きてた頃の……

一瞬、唇に微笑を浮かべてから、シルは僕に口を挟む間を与えずに続けた。

「それより、急がないと」

「急ぐって、ど、どこへ?」

「私が落っこちた、あの場所です。考えたんですが、恐らく、私を呼び寄せたのは……

どきっとしたが、シルの言葉は予想外のものだった。

「あの場所そのものだと思うんです」

「え……それは、どういう意味……?」

「あの座標に存在する構造物、あるいは地下の岩盤が、ごくごく微量のミスリル原石を含んでいるということです」

「ええ!?」

思わず叫びそうになり、慌てて声をひそめる。

「こ、この世界にもミスリルが……?」

「有り得ないことではないです。私の世界にも僅かに炭素化合物が存在するのですから」

……そう言えば……あそこにあった噴水の元栓が閉められたのは、ずっと昔、噴水に落ちた子供がなぜか行方知れずになったからだって聞いた気がする……

シルはちらりと辛そうな顔を見せ、ゆっくり頷いた。

「ええ……世界移相技術が確立される以前は、ミスリルの鉱床では神隠しが起きるという言い伝えがあったようです。もしあの場所にミスリル原石が存在するなら、今は私のエンフォーサーと共振して励起状態にあるはず……石が全て崩壊してしまう前に戻れば、励起されたエネルギーを利用して、残り少ない私のミスリル結晶だけでシフトできるかもしれません」

またしても意味不明な説明の羅列だが、要は、噴水の周囲にあるミスリルが消えてしまう前に、それを使って元の世界に戻ろうということらしい。

「そ、そんなことなら、こんなに長い時間待たないで、あそこですぐに元の世界に戻ったほうが良かったんじゃ……?」

慌ててそう尋ねると、シルは短くかぶりを振った。

「パーソナルシフトを行うには体力的に限界だったのと……ドワーフの自律機械の追跡を断ち切る必要があったのです。あの嫌らしい虫は、シフトの痕跡を嗅ぎ付けてしつこく追いかけてきますから……

どんなものやらさっぱり分からないが、人にあんな火傷を負わせるくらいだ。ロクでもない代物であろうことは想像がつく。

「なるほど……。そいつはもう撒けたのかな」

「ええ。たとえ宙航艦の爆発から逃れたとしても、今ごろは虚空間で機能停止しているはずです」

「そりゃ良かった」

頷いて、僕は立ち上がった。伸ばした右手でシルの手を取り、ベッドから降りるのを助ける。

「どう、歩けそう?」

「ええ、もう大丈夫です。ほんとに……何からなにまでお世話になってしまって」

「いいんだ……僕も、色んな話が聞けて楽しかったし」

そう、この世界が唯一無二ではないと分かっただけで、僕には充分すぎる報酬だ。

シルの手を軽く握ったまま、僕はそっと部屋のドアを開けた。家族は皆朝が早いので、この時間は完全に熟睡しているはずだ。ちょっとやそっとの物音では起きないだろうが、それでも息を殺し、足音をひそめて階段を降りる。

ドアのサムターンロックを回す時だけが少し心配だったが、かちん、というかすかな金属音に誰かが気付いた様子もなかった。シルを外に導き、そっとドアを閉めると、僕らは眠りに沈んだ深夜の住宅街に足を進めた。

自宅から大学までは、少しだけ遠回りをすれば交通量の多い道に出ることなく辿り着くことができる。そもそも、僕が進学できたのも、家から至近距離にある公立の大学に運良く合格したからなのだ。三十分歩いただけで心臓の気配が怪しくなる僕には、とても長距離の通学はできない。

それにしても、いくら午前二時すぎの生活道路とは言え、酔って帰宅する会社員や宵っ張りの学生、巡回の警察官などに一度くらいは遭遇することを覚悟していたが、この夜だけは猫いっぴき見ることはなかった。まるで、いつの間にか、生き物だけが消滅した平行世界に迷い込んでしまったような気分だった。

十分後、残念なほどにあっけなく辿り着いた大学の裏門は、当然しっかりと施錠されていた。高い鉄扉を見上げ、さて、と考え込む。無理矢理よじ登って登れないことはないだろうが、僕もシルも、体調的に万全とは言えない。

と、鋳鉄製の扉と門柱を繋ぐがっちりとした南京錠を眺めていたシルが、振り返って僕を見た。

「あの……この封鎖装置は、単一合金製のようですが……破壊するとシュウが困りますか?」

「へ? いや……僕は困らないよ」

朝になってから警備員さんが困るかもしれないが、この際許してもらおう。シルは僕の言葉に、そうですか、と頷くと、再び南京錠に向き直った。

右手を伸ばし、呪文をほんの一言唱える。ぴきん、とかすかな音とともにU字型の金属が二箇所で切断され、どすっと敷石の上に落ちたのは一瞬の出来事だった。

「うわ……呆気なさすぎるな。でも、大丈夫? またミスリルを消耗したんじゃ……?」

音を立てないように扉を押し開けながら尋ねると、シルはにこりと笑って答えた。

「量子シフトにとって、このような均質な構造物の操作は最も容易いのです。私の世界では、保安用の装置は全て操作を困難にするため複合素材になっています」

「なるほどなあ……

僕は腰を屈め、大きな南京錠を拾い上げた。真鍮製だろうか、鈍い黄銅色の切断面が鏡のように輝いている。

こんなものを落としていっては、誰かが侵入しましたと言っているようなものなので、僕はそれを羽織ってきたブルゾンのポケットに入れた。用事が済むまでに見回りがこないことを祈りながら元通り扉を閉める。

「さ、あの噴水はすぐそこだよ」

こくりと首を動かすシルの手を取り、僕はこの出来事が始まった場所へと急いだ。

落ち葉を踏みながら細い煉瓦道を右に曲がり左に曲がりし、九号館の北東の角を回りこんだ、その時――

「あっ……

僕は思わず、息を飲んで立ち尽くした。

直径わずか二メートルほどの、薄汚れた灰色の噴水全体が、ぼんやりと薄青く光っている!

唖然としながらも僕は、以前に学内の図書館かどこかで、この石造りの噴水は大学造成時に地面から出てきた大きな岩を削って造ったものだという来歴を読んだことを思い出していた。

僕の手を離して進み出たシルが、右手のエンフォーサーを噴水に近づけると、腕輪のモールドにひときわ明るい光が走り回るのが見えた。くるりと振り向き、微笑みながらシルが言う。

「やはり、この構造物には微量ですがミスリルが含有されています。恐らく、あと一単位時間も経たずにすべて崩壊してしまうでしょうが、今なら共振励起を利用してシフトできそうです」

「そ……そうか、よかった」

やけに渇く口をぎこちなく動かし、僕も笑った。

連れて行ってくれ――などと、言えるはずもなかった。

こんな奇跡の幕引きを、現実世界の僕のどろどろした欲で汚すことはできない。せめてシルには、この世界に落ちてきて、そして最初に僕と出会ってよかったと思ってほしい――などと、これだって充分にエゴ丸出しな望みだけれど。

葛藤を押し隠し、僕は一歩前に進み出た。右手を差し出し、戸惑ったように微笑むシルに、これは握手と言って、この世界のお別れの挨拶なんだと説明する。

「握手……いい言葉ですね。そして、私の世界のお別れよりずっと素敵」

こちらに伸ばされたシルの手を握ろうとした――

その時。

ジジジッ、という、耳慣れないが聞き覚えのある音が響いた。噴水全体が、強く輝いた。眩い青光に、思わず視線を上向けた僕は、叫びながらシルの手を強く引いていた。

「シル!!」

あの時と同じように、虚空に突如実体化し、落下してくるそれは――しかし、人の姿ではなかった。

後ろに倒れ込んだ僕らの眼前で、ずずん、と重い震動とともに大量の落ち葉が舞い上がった。

――自律機兵……!」

シルが掠れた声で叫んだ。

大きい。高さは一メートル強だろうが、左右の差し渡しは二メートル近くある。鋼色の平べったい楕円形の本体に、左右三本ずつの多間接脚が生えた姿は確かに虫そっくりだが、愛嬌のようなものは欠片も無い。本体の前面に、山ほど突き出した感覚器らしき球形のレンズが、シルと僕を捕らえ、ういんういんと音を立てて動いた。レンズの下部にぽかりと開いた丸い口の周囲にも、わさわさ動く金属の針のようなものが大量に生えている。

驚愕と恐怖に凍りついた僕は、突然、ブルゾンの襟首を物凄い力で引っ張られた。いつの間にか立ち上がったシルが、左手一本で僕を引き起こしたのだ。

「シュウ、逃げて!!」

叫びざま、僕をどんと九号館の陰に押し出す。

機械虫は一瞬レンズで僕を追ったが、すぐに反対側に走り出したシルに向き直った。シルの動きは、怪我しているとは思えないほど素早かったが、しかしそちらは高い塀に遮られている。

壁際で立ち止まったシルを、機械虫が正面に捉えた。口の周りの針が一斉に開き、その奥に赤い光がちかちかっと瞬いた。

びごっ! びごっ! という、巨大なハンマーで自然岩をぶっ叩くような音が立て続けに響き、虫の口から明るく輝く炎の塊が二つ発射された。あれが、炭素からできた火薬や燃焼剤の炎ではなく――金属が蒸発しながら燃えているのだとしたら、その温度は軽く三千度を上回るはずだ。

シルは、飛来する最初の金属弾を横っ飛びに回避すると、次弾に向けて右手を突き出した。エンフォーサーが眩い青に光り、弾が空中で白熱、直後ばしゃっと四散する。

初撃が着弾した分厚い石塀の一部が、どろりと赤く熔融するのを見て、僕はじっとしていられず立ち上がった。しかし、手に棒切れの一本すら持たない僕が飛び出しても、シルの足手まといになるだけだ。何かできることはないのか――!? 周囲を見回し、必死に考える。棒切れなら、たしかにイチョウの枯れ枝が山ほど落ちているが、そんな物が何の役に……

その間にも、異世界の兵士とロボットの戦いは続いた。と言っても、状況はシルの防戦一方だ。振り回される機械虫の脚を掻い潜り、発射される赤熱弾を撃ち落して直撃は避けているものの、攻撃に転じることができない。

「シル、シフトして逃げるんだ!!」

焦燥に駆られ、僕は叫んだ。しかしシルは、金髪を乱して首を左右に振った。

「いけない! ここで破壊しないと……この世界に、ドワーフ軍が!」

それは確かに、恐るべき想像だ。しかし、このままシルが殺されても結果は同じなのだ。逃げるだけでは、いつかやられてしまう。

僕が危惧した瞬間が現実になったのは、それからほんの十秒後のことだった。深い落ち葉に隠れていた樹の根に脚をとられ、シルが倒れた。

レンズの複眼をちかちかと瞬かせながら、俊敏な動きで機械虫がシルに迫った。口の中からはすでに、発射準備の整った赤い炎が漏れ出している。

もうただ見ているわけにはいかない。

僕は建物の角から飛び出し、叫びながら一直線に走った。

「こっちだ!!」

ういっ、と音を立てて虫の視線がこちらに向く。目指したのはシルの位置ではなく、最初に虫が砲撃した石塀だった。マグマのように融解した砂岩は、すでに半ば冷めかけているが、その周囲にはまだ小さな炎がちらちらと揺れている。

その炎に向けて、僕は右手に握ったイチョウの落ち枝を突き出した。

たっぷりと枯れ葉のついた大きな枝は、ぱちぱちと音を立て、一瞬にして燃え上がった。それを見た機械虫の動きが、狙い通りぴたりと止まった。

あの虫の、言わばAIがかなり高度なものなのは、シルを追い詰めた動きを見ても明らかだ。ならば、僕の右手で激しく燃えさかる炎を見て、誤解するかもしれないと期待したのだ。こんな即席のたいまつでは、例え人間を叩こうと、着衣に燃え移りでもしない限り大したダメージは負わせられないだろう。しかし異世界の――炭素のない世界の住人には、この炎が、超威力を秘めた武器に見えるはずだ。

僕が向けたたいまつを見て、機械虫は盛んに複眼を点滅させながらじりじりと後ずさった。しかし、動きを止めておける時間は数秒だろう。こんな枝、すぐに燃え尽きてしまう。

僕はばくばくと暴れる心臓を懸命になだめながら、左手でブルゾンのポケットを探り、弾になりうる大型の金属塊――破壊された南京錠を引っ張り出した。

「シル! これを使って!!」

叫びながら、立ち上がったシルのほうに放り投げる。

「了解!!」

シルも一声叫び、続けて複雑な呪文を物凄い速さで唱えた。

エンフォーサーがばちばちっと音を立てて蒼いスパークを放つ。その右手が南京錠を掴むやいなや、何の変哲もない真鍮の塊が、白く輝く槍へとその姿を変えた。

――えええい!!」

気合とともに、シルは全身を撓らせ、光の槍を投擲した。

「ギイッ!!」

機械虫が軋り声を上げ、そちらを見た。直後、そのレンズ群の中央に、どかっ!! と鈍い音を立てて槍が突き立った。

一瞬ののち、虫の口から真っ赤な炎が大量に噴き出した。滑らかな鋼色の胴体が各所で断裂し、そこからも極小の火山のように溶けた金属が漏れ出す。ばん、ばんという爆発音とともに多関節脚が付け根から吹っ飛び、異世界の殺戮兵器は、捩くれた金属の山となって地面に崩れ落ちた。

断末魔のように明滅していた複眼が、ゆっくりとブラックアウトしていく。

死んだ――、と僕が胸のなかで呟いたその時、残骸全体が青い光に包まれた。

「!?」

驚愕して一歩下がった僕の眼前で、直前までロボットだった金属塊が、砂のように溶け崩れ、消滅していく。

「に……逃げる……!?」

「大丈夫……機密保持のために自壊しているのです」

僕の隣にきたシルが、掠れた声で言った。その言葉どおり、機械虫の残骸は、ほんの十秒程度で嘘のように消え去り、あとには針金一本残らなかった。

僕は長く息を吐きながら、いつの間にか消し炭に変わっていた枯れ枝を、地面に落とした。

「シル……

怪我はないか、と聞こうとしたが、その続きを声に出すまえに、僕はシルの両腕に体をぎゅっと包まれていた。

異世界の兵士は、細身ではあっても背丈は僕とほとんど変わらず、波打つ金髪がふわりと僕の左頬を撫でた。ほとんど音にならないシルの声が、触れ合った肌を通して僕の頭に響いた。

「ありがとう、シュウ……最後の最後まで、助けてくれましたね」

「そんな……僕は何も……

「私は、機兵とともに自爆する覚悟だったのです。でも、シュウが私に命をくれた。だから……あなたが決めてください。もしシュウが、ここで私に死んでほしいと思うなら、私はそうします」

「な……

何を言ってるんだ、と驚愕し、僕は身を引き離そうとした。しかしシルは腕に一層力を込め、言葉を続けた。

「あなたにはわかっているはずです。この世界に生きる人間にとって、さっきの自律機兵と私の存在に、大きな差はないと。あの機兵が生きて己のクラスターに戻れば、この世界の豊富な炭素を求めて数億のドワーフ軍が押し寄せてきたでしょう。そして……私が戻っても、同じ結果になる可能性があると、あなたにはもうわかっている」

……いや、そうはならないよ」

僕は、シルの髪に顔を埋めながら、はっきりとそう答えた。腕のなかのシルの体が、ぴくりと震えた。

……なぜ……そう言い切れるのですか?」

「何故なら、君が、ほんとうは戦争なんか嫌いな普通の女の子だってことも、僕にはもうわかってるんだ。君は、この世界のことを……この半日の出来事を、きっと誰にも言わない。僕がそうしようって決めてるように、ね」

……シュウ……

この時ほど、心を震わせる声で自分の名前を呼ばれたことはないと、僕は思った。

不意に、シルの頭が僕の左肩から動いた。目を閉じる暇もなく、唇が、少しひんやりしたシルの唇に覆われる。

永遠にも等しい数秒ののち、シルは顔を離し、至近距離から僕の目を覗き込んだ。銀に青を流した瞳に浮かぶ様々な感情の色を、僕は読み取ることができなかった。

……私の世界では、いまのジェスチャーが表現するものは……

シルの囁き声を、僕は途中で遮った。

「同じ表現が、この世界にもあるよ。きっと、意味するところも同じだと思う。さあ……もう行かないと。噴水の光が消えかけてる」

肩に両手をかけ、シルの体を半回転させる。先ほどの戦闘で、双方が何度も量子シフトを行ったせいか、噴水から零れおちるほどだった燐光は目に見えて薄れ、儚く瞬きはじめていた。

そっとシルの背を押し、僕は言った。

「さようなら、シル」

……シュウ」

その声が、密やかに濡れているのに気付き、僕は圧倒的な寂寥感のなかにもささやかな幸せを感じた。シルは小さく肩を震わせ、俯き――そしてゆっくりと前に歩きはじめた。

「このまま、振り向かないで行きますね。戻ったら……私、たぶん軍を辞めます。そして、戦争を終わらせる方法を考えます。私の生きている間には無理でしょうけど……あなたに、たくさん大切なことを教えてもらいましたから。それを多くの人に伝えます」

「うん……君ならきっとできるよ」

「ありがとう……さようなら、シュウ」

噴水の縁まで辿り着いたシルは、そっと、しかし確かな動作で右手を高く掲げた。

謳うような、抑揚豊かな呪文の旋律を、心に刻みつけようと僕は耳を懸命にそばだてた。しかし、先ほどの戦闘のときから、やけに大きく響く心臓の音が邪魔をする。

どくん、どくん、と鼓膜を叩くその音が――

不意に、止まった。

どくん。動く。そこでまた沈黙する。長い間をあけて、やっと、どくん。

手術をしなければ、いつか来ると覚悟していたその時が、ついに訪れたことを僕は知った。目の前がすうっと暗くなり、膝から力が抜けた。

僕は、これまでの人生でこれほど必死になったことはない、というくらいに全身全霊をつぎ込んで、枯れ葉の割れる音ひとつ立てず、完璧なまでに静かに地面に倒れた。

致命的な不整脈が、僕の脳へ血液が送られるのを妨げ、視界が闇に閉ざされていく。その中にも、シルの右手が描く蒼い軌跡と、揺れる金髪の輝きだけははっきりと見えた。

振り向かないで。そのまま行くんだ、シル。

僕は心のなかでそれだけを念じた。病気の名を知ってから三年――常に仮の世界に心を彷徨わせ、半透明の膜に閉じこもって生きてきた僕だが、今日ついに、生きた証を得たのだ。これ以上何を望めよう。僕はもう、充分に報われた。

噴水から、蒼い光の柱が高く、高く屹立した。

僕がただひとり愛した異世界の妖精が、音もなくその中へ歩み入った。

僕は微笑み、そっと瞼を閉じた。

END

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