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sinonhecate

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日志

 
 

【生肉】【川原砾】夕暮れは魔法の時間  

2013-04-12 21:02:37|  分类: 轻小说阅读 |  标签: |举报 |字号 订阅

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【生肉】【川原砾】夕暮れは魔法の時間 - sinonhecate - Sinonhecate

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 遠く誰かの呼び声を聴いた気がして、永岡 歩(ながおか あゆむ)は瞼を薄く開けた。
 いつのまにか眠り込んでしまっていた。卓上に広げた革装の大型本に自分の右頬を乗せていることに気づいて、慌てて顔を起こす。
……よだれ、垂らしてないよね……
 ななめにずれた眼鏡をかけなおし、ページの上を覗き込む。細かい活字が並んだ上質な紙の上には、さいわい何の痕跡もなかった。ほっとして椅子の背に体を預ける。
「ううー、すっかり寝ちゃったなあ……。首、イター」
 独り言を呟いて、無造作な髪型のショートヘアをばさばさとかきあげる。
 十五歳、高校一年生にしてはかなり小柄だ。無改造デフォルト状態の制服に包まれた体つきは薄く、直線的。メタルフレームの眼鏡をかけたその顔も、整ってはいるが特徴的なのはぐいっと太い眉毛くらいで、一言で言えば「地味!」な容貌だ。
 だが、その視線が目の前のハードカバーの大冊に向けられた途端、眼鏡の奥で瞳がきらきらと輝いた。黒目がちの大きな瞳は、その瞬間だけは見る者をハッとさせる印象的な光を宿す。無邪気で、飽くなき無限の知識欲と好奇心の輝き。「歩は本を読んでるところがいちばんかわいい」というのは父親の弁だ。
 右手を伸ばし、そっと頁のエッジを撫でながら、眠り込む直前に読んでいた部分を目で追――おうとして、歩は右手の窓から差し込む陽光がすでに夕刻の赤みを帯びていることに気づいた。慌てて左手首の小さな時計をのぞき、顔をしかめる。
「わぁ、もうこんな時間」
 部屋には歩以外誰もいない。窓の外に目をやると、今まさに、新校舎の豪華な時計塔の向こうに太陽が姿を隠そうとしているところだった。深まりつつある秋の夕空は、少し不安になるほどに濃い赤に染まっている。尖塔の多い校舎の真っ黒なシルエットは、真新しいはずのその建物をまるで朽ちかけた古城のように見せている。
 聖カタリナ女学院――というのが歩の通う高校の名前だ。古風なその名が示すとおりやたらと長い歴史がある。校風も厳格で、入学直後は学校の伝統なんて面倒くさいだけだと思っていたのだが、歩はすぐにその認識を改めていた。
 その理由が、彼女が今いる場所――旧図書室だ。
 四年前の新校舎建設にともなって教室がすべて移転したため、今では人がほとんど近づかない旧校舎最上階。静謐と歴史あふれるこの空間をはじめて発見したとき、歩は夢かと思ったものだ。
 教室三つ分はある広い部屋には、背の高いチーク材の書棚が整然と並び、古今東西を問わぬ名著奇書がぎっしりと収められていた。豪華な装丁の全集本の間を歩は酩酊状態で歩き回り、やがて部屋の一番奥に黒檀の丸テーブルと赤いラシャ張りの椅子を見つけたとき、彼女は確信した。
(ここは、私の場所だ――!)
 以来八ヶ月。授業が終わると必ず旧図書室を訪れ、閉門の鐘が鳴るまで夢中で耽読するのが歩の日課となっている。

 歩が活字に取り付かれたのは物心つくやつかずの頃だった。母親に言わせれば、「喋るより読むほうが早かった」らしい――まあこれは冗談だろうが。絵本から始まって、児童文学を駆け抜け、小学校に上がるころにはすでに文学全集に手を出していた。放課後になるや否や図書室もしくは市立図書館に駆け込み、日が暮れるまで篭りつづけるのは、そのころから現在までの一貫した習慣なのだ。
 だから、歩には友達があまりいない。もちろん、学校で仲良く話す生徒はいるし、休日には連れ立って買い物に行ったりもする。でも、自分に「親友」がいるのかどうか――それを考えるとき、自信を持って挙げられる名前は、残念ながら、ない。
 それだけじゃない。歩はいままで男の子を好きになったこともなかった。そんな自分が寂しいと、思わないでもない。教室で、同級生が花を咲かせる恋の話にもサッパリ加わることができないし、雑誌の占いに一喜一憂することもできない。
 でも、歩にはどうしても、自分が属しているこの「現実」という世界が、色褪せたつまらない物語のひとつのようにしか思えないのだ。
 歩がいままで読んできた星の数ほどの文学、小説の中には、それぞれ目もくらむような、きらびやかな世界が広がっていた。そこに住む者たちはみな、自分にふさわしいドラマを持ち、運命を持っていた。
 それに比べれば自分なんて――。歩は思う。こんなちっぽけで、これといった特徴もない自分を待っているドラマなんてありはしない。毎日毎日、おなじことの繰り返し。たぶんそれが、大人になっても、その先も、永遠に続くのだ。
 だからせめて、少しでもたくさんの物語に、世界に触れてみたい。本の世界にいる間だけは、自分は平凡なメガネの女の子ではないのだから――

 さて、乏しい小遣いと小?中学校の貧相な図書室に欲求不満を募らせていた歩は、ようやく見出した楽園で読んで読んで読みまくった。
 新校舎には、最新のクライアントマシンをずらりと供え、雑誌から人気の新刊本までを網羅した図書室があり、生徒はほぼ百パーセントそちらを利用する。そのためいつ来ても、一際立派な書架に三方を囲まれた小さなテーブルに人影は無かった。
 いや――正確には一度だけ、先客がいたことがあったのだが――。ともかく歩には、この自分専用の天国でさまざまな幻想世界を飛翔している時間が、目下人生で最大の楽しみなのだった。
 歩は先月から、六十年前に書かれたというダークファンタジーの大著を読み始めていた。今日も放課後になるや否や駆けつけ、やや神経症的なそのイギリス幻想小説を読み進めていたのだが、やがて少々読み疲れ、頬杖をついて舞台となっている奇城に空想を彷徨わせているうち、すとんと眠り込んでしまったのだ。
 窓の向こうの夕焼け空から視線を戻すと、再び時計を睨んで歩はしばし悩んだ。
(どうしようかな……。もうちょっと読んでいこうかな……。でもバス乗り逃がすとまたママに怒られるしなぁ……
 勉強などろくにしていないが、歩には幼いころからの濫読で鍛えられた記憶力と理解力、簡単に言えば『知識との相性』のようなものがあった。そのお陰で成績は常に上位を保っており、下校時間ぎりぎりまで学校の図書室にこもることについては両親の理解を得ているが、さすがに一度最終のスクールバスを乗り逃がして駅まで歩くはめになったときはこっぴどく叱られた。
 バスの出る時間まではまだ少々余裕があったが、どことなく不吉な空の色に歩はわずかな心細さを感じた。学校は市街地から離れた森の中にあり、この夕暮れのなか一人で歩くのはなんとなく嫌だった。
 「今日は帰ろ」
 声に出して呟き、未練がましくページを視線でひとなですると、歩は自作のしおりを挟み本を閉じた。立ち上がり、傍らの書架にそっと戻す。旧図書室には稀覯本が多いため、ほとんどが貸し出しを認められていないし、そもそも司書の先生すら常駐していない。
 テーブルの足元から黒革の学生鞄を拾い上げ、椅子を戻して歩き出した。書架の間に敷き詰められた毛足の長いカーペットは、体重の軽い歩の足音を完全に吸収してしまう。しん、と耳が痛くなるほどの静寂の中、書架の谷間をゆっくりと歩く。
 それにしても、余りにも静かだった。
 旧校舎は、学校の敷地の最奥部にありグラウンドや体育館からは離れているが、それでもこの時間なら運動部の生徒たちの掛け声が遠く聞き取れるはずだ。だが、歩きながらいくら耳を澄ませても、聞こえるのは歩が立てる衣擦れの音だけだ。まるで旧校舎に――いや、学校全体に自分ひとりしかいないような気分にとらわれ、自然と速足になる。左右に連なる古い本の列が漂わせる歴史の重みは、普段は心地よく感じられるのに、なぜか今は不安をいや増すような気がする。
 旧図書室でこんな気分になったことは、今まで一度もなかった。
(いやな色の夕焼けのせい――? 妙に静かなせいかな?)
 足を動かしながら、歩は理由を考えようとする。
(読んでた本のせいじゃないよね……。 さっきまで見てた――夢のせい……?)
 でも、どんな夢を見ていたのかはなぜか思い出せない。誰か――何かに追いかけられていたような、そんな記憶がかすかに残っている。そして、遠く歩を呼ぶ声が……
 考え込みながら、何列目かの書架を足早に通りすぎたとき――歩は、視界の端になにかが見えた気がして、ぴたりと立ち止まった。
 「……?」
 歩は出口に向かって、細長い図書室の中央を貫く通路を歩いていた。書棚の列は、通路に対して直角に並んでいる。右手奥には夕陽に染まる窓が並び、書架の谷間に赤い光を投げかけている。左手は壁に向かっているため夕陽は届かず、大型本の列は意外に濃い闇の中へと続いている。
 その、左側の書棚と書棚の間。たった今直角に横切った、暗い谷間の一番奥に、なにかが見えた。
 歩は立ち止まったまま、なぜか動けなかった。何が見えたのか――確認するのは簡単だ。一歩か二歩後ずさり、左を向き、書架の間を覗き込めばいい。
 でも、歩の心のどこかで、『見るな』とささやく声がした。今かすかに見えたのは――こんなところにあるはずがない物。触れないほうがいい、何か。
 鞄を握った左手が、ひどく汗ばんでいる。鼓動がやけに速い。歩は息を詰めて数秒間固まっていたが――
 やがて、右足を動かした。後ろに向かって。ついで左足。右手で眼鏡を押し上げながら、ゆっくり首を回して、歩は書架の谷間、闇に飲まれたその突き当りを見つめた。
 小さな、オレンジ色の光がゆらゆらと揺れていた。炎だ。赤く、細い筒の上にともった炎が音もなく揺らめいている。
「ろうそく――?」
 歩はちいさく呟いた。通路の奥にあったのは、華奢な一本の燭台だった。細かい装飾が施された、古めかしい銀の燭台の上で、真っ赤な蝋燭が燃えている。
「なんで……こんなとこに……
 もちろん答える声はない。歩は魅入られたようにしばらく遠くで揺れる炎を見つめていたが――やがてゆっくりと、書棚の間に足を踏み入れた。

 目の前まで近づいた途端、不意に燭台が消滅してしまう――ような展開を歩は半ば想像していたのだが、もちろんそんなことはなかった。背の高い書架に挟まれた、せまい通路の一番奥。分厚い板壁のすぐ手前に、そこにあるのが当然といったようにそれは置かれていた。
 優美な曲線を描いた四脚の接合部から、細い銀の胴が伸び、歩の腰ほどの高さで手のひらの大きさの受け皿となっている。全体には精妙な彫刻が施され、その溝は長い年月の経過を示すように黒ずみ、とても演劇部のお手製小道具のようには見えない。
 受け皿の中央には、細身の蝋燭が一本立てられていた。ろうの色は深い赤だ。ご丁寧に灯芯まで同色で、その先端でゆらめく炎もどことなく赤味がかっている。
 わすかに腰をかがめ、揺れる小さな炎をじっと見つめながら、歩はなんでコレがココにあるのか、その理由を考えようとした。
(暗いから明かりがわり――なら天井の照明つければいいし……。アロマキャンドル――のわりには何の匂いもしないし……
 だが、いくら考えても納得のいく説明は思いつかない。
 ろうそくをよくよく眺めると、まだそれほどロウが溶けていないことに気づいた。ひとすじ、ふたすじ深紅のしずくが側面を伝い、受け皿にわずかに溜まっている。まだ火をともされてからそれ程時間がたっていないように見える。
(わたしが寝てる間に置いていったのかな? ――でも――誰が……?)
 不意に背筋をぞくりとするものが走って、歩は顔を上げた。鞄を両腕で胸に抱き、きょろきょろと周囲を見渡す。
「あの……誰か、いますか……?」
 小さな声で言う。だが答えはない。しん、とした密度のある静寂が、旧図書室全体を厚く包んでいるだけだ。
(も――! 何なのよいったい!)
 歩は急に腹立たしくなった。もともと自分が怖がりだとは思っていない。幽霊話のある旧校舎に一人で入るのもなんてことないし、学校から深い森の中を市街地まで歩いたことだってある。歩にとって、怪異なものは本の中にだけ存在するのであって、退屈な現実世界にはそんなものが入り込む余地はないのだ。
(誰か知らないけど、こんなものを置いていくなんて人騒がせだし――そもそも、危ないじゃない!)
 憤慨しながら考える。周囲には、乾いた古い紙が山のようにある。もし蝋燭の火が移ったら、歩の愛する文学作品の数々はさぞかし盛大に燃えあがることだろう。
……危ないから、消しますよー」
 今度は少し大きめの声で言って、歩は炎に顔を近寄せた。唇を尖らせ、軽く息を吹きかける。
 でも、炎は軽く揺らいだだけだった。もう一度、少し強く吹く。激しく揺らめくが、それでも炎は消えない。
(なんだっていうのよ!)
 なんだかろうそくにまでバカにされているような気がしてきて、歩は太い眉毛を吊り上げると、胸を反らせて大きく息を吸い込んだ。
「ふ――――ーッ!!」
 顔を赤くしながら思い切り呼気を吹きつけると、炎はそれでも必死に抵抗するように踊りつづけたが、歩の肺が空になると同時にとうとう力尽きた。ぼっ、という音とともにオレンジの光が消滅する。深紅の灯芯からひとすじ、これまた赤い煙がふわりと立ち昇り、消えた。
「ぜはー、ぜはー」
 荒い呼吸を繰り返しながら、歩は顔を上げた。その途端、ふらりと立ちくらみがして、傍らの書架に手をついた。
……ふん」
 眼鏡を押し上げ、勝利の笑みを浮べたところで我に返る。ちっぽけな蝋燭相手に一体何をやっているのか。急に空しくなった歩は、鞄を握りなおし、ふと時計に目をやった。直後、青ざめる。
「わあ! バスがいっちゃう!」
 スクールバスの乗降場がある正門前までは、旧校舎からどんなに急いでも八分はかかる。もう走らなくては間に合わない。歩は慌てて駆け出した。
――ゴメンなさい!)
 静粛を最大の鉄則とする場所でドタドタ走る暴挙を心の中で謝罪しながら、歩は書架の間を駆け抜け、大きな閲覧テーブルを迂回し、貸し出しデスクの脇を抜けてドアへと到達した。ノブを握るのももどかしく開け放ち、廊下へ飛び出そうと――したところで、ぴたりと足を止めた。
「!?」
 眼鏡の下で、パチパチとまばたきを繰り返す。
 両開きの重いドアの向こうには、暗く、広い廊下がまっすぐ続いている。右側に並んだ格子窓からは最後の残照が差し込み、反対側の壁に設えられた時代物の電灯がぼんやりした光を放っている。ドアを開け、一歩踏み込んだ瞬間――その光景がぐにゃりと溶け崩れるように歪んだ気がしたのだ。
 頭をぶるぶると振り、もういちど目を開けると、そこはもういつもの、見慣れた旧校舎の廊下だった。おかしいところは何もない。でも――
(なんだろ、今の――
 かすかな胸騒ぎ。立ちくらみがまだ続いているのか、少し足元がふらふらする。なんだか、妙なことが起きている。そんな予感がして、廊下に踏み出せない。
 だがそう言ってもいられない。あと数分で旧校舎から出て、中庭と新校舎を抜け、グラウンドをつっきって正門まで到達しなくてはバスを乗り逃がしてしまう。
 ふらつく頭をもう一度振り、眼鏡を押し上げると、歩は廊下を早足で歩き始めた。
 図書室から出ても、相変わらず周囲は静寂に包まれている。いつもなら裏山に住み着いているカラスの声がやかましく響いていた気がするのに、今はまったく聞こえない。
 図書室は、細長い旧校舎三階の西端にあり、階段は東端にある。だから、ひとけの無い廊下を端から端まで突っ切らなくてはならない。左側の壁に並んだドア、「印刷室」やら「社会科資料室」の前を次々と通り過ぎていく。あまりにも静か過ぎて足音を立てるのがためらわれ、歩は可能な限りの早足で歩きつづける。
 「家庭科準備室」、「進路相談室」、「化学資料室」……今はもう使われることのない、主なき部屋の前を無言で通過してゆく。行く手にようやく階段が近づいてくる。歩くたびに、めまいと頭痛がひどくなるような気がする。でも、もうすぐ、やっと階段に着く――
 左に並んだ部屋、その最後のひとつ「生物資料室」の前を通り過ぎようとしたとき。
 歩はとうとう、自分以外のものが発した音を聞いた。ぴたりと足が止まった。
……なに、いまの……!?)
 湿った空気が、素早く噴出するような音。聞き覚えがある。
 昔、歩がまだ小さかったころ、家と小学校の間にとても大きな屋敷があった。石塀が何十メートルも続き、黒い鉄格子の大扉が外界と屋敷を遮断していた。
 歩はその扉の前を通るのが大嫌いだった。可能な限り遠回りで登下校した。でも、遅刻しそうなときはそこを通らないわけにはいかなかった。息を殺し、足音を立てないようにして鉄格子の前を素早く通過しようとするのだが――そいつは、必ず歩の接近を察知し、待ち構えているのだった。
 巨大な黒いグレートデン。散歩中に、他の飼い犬を噛み殺したこともあるという話だった。幼い歩が鉄格子の前を半分がた通り過ぎ、今回こそは気づかれなかったと、そっと胸をなでおろした瞬間を狙ってそいつは猛然と吠え掛かってくるのだった。歩は長い間、悪魔の化身だと信じていたものだ。
 その黒犬は、歩に吠え掛かる直前、喜びを堪えきれないといったように必ずひとつ大きく息をした。人間が笑うような、喉から空気の塊を吐き出す音。
 間違いない。今、生物資料室のドアの向こうから聞こえたのは、絶対にあの音だ。
 そう思ったとたん、両足がすくんだ。全身が動かなくなった。鞄を取り落とさないようにするだけで精一杯だ。
 目を見開き、息を詰めながら、歩は両耳に意識を集中した。空耳だ。こんなところで、あの音がするわけがない。必死に自分に言い聞かせる。
 でも――
 聞こえる。かすかに、しかしはっきりと、「はっ、はっ」という息遣い、硬いものが木の床を擦る足音が聞こえる。このドアのむこうに――あいつがいる!
 歩は、めまいが一際ひどくなるのを感じた。床がぐるぐると揺れているような気がする。立っていられない。
(倒れちゃ、だめだ!)
 今倒れたら、その瞬間ドアをぶち破ってあいつが襲い掛かってくるだろうという確信があった。ああ、でも、意識が遠ざかる。視界が暗くなる――
 その瞬間。歩の頭の中に、誰かの声が大きく、鋭く響き渡った。
『走れ!! 階段を降りるんだ!!』
 どこかで聞いたことのある声だった。ちょっと少年めいた響きのある――しかし間違いなく、同年代の女性の声。激しく、強い意思を感じさせるその声は、ぼんやりとかすみがかかった歩の意識を、黄金の矢のように貫いた。一瞬、めまいの波が霧散した。
「!!」
 はっと顔を上げると、歩は床に倒れる寸前で踏みとどまった。唇をかみしめ、眼鏡をぐいと押し上げて――猛然と走り出す。
 階段を二段飛ばして駆け下りる。踊り場に達すると、手すりにつかまって急角度でコーナーをクリアし、再び階段を跳ぶように下る。
 二階の廊下に達する直前で、上からすさまじい獣の咆哮がとどろいた。びりびりと空気が震える。直後、重いものが木のドアを破る破壊音が響いた。再び足がすくみそうになる。
『立ち止まるな!』
 また、あの声がした。
『一階まで降りたら、右側二つ目のドア、調理実習室に飛び込むんだ!』
 ほとんど転げ落ちるような勢いで、歩は一階へ続く階段を駆け下りた。頭上で再び獣の吠え声。硬い爪の生えた足が床をひっかく音。追ってくる――
(なによこれ!! なんなのよ――――!!)
 頭の中で絶叫しながら、歩は必死で走った。踊り場を回り、十五段の階段を四歩で飛び降り、一階の廊下へと――。走りながら、暗い廊下に目を凝らす。右側の壁にドアが並んでいる。その二つ目、調理実習室――あった!! わずかに開いている。残り距離は約十メートル、転びそうになるのを必死にこらえて足を動かす。
「あ、わ、わ――っ!」
 最後の最後で足がもつれ、歩は頭からドアに突っ込んだ。ぶつかる寸前で重い木のドアがさっと動き、歩はその中の暗闇へと猛烈な勢いでダイブした。
「むぐ!!」
 何か柔らかいものにぶつかった。必死にしがみつく。ぶつかった何かもろとも床に転がる寸前で、ようやく歩の身体が止まった。そのまま数瞬、停止する。

――だいじょうぶか、永岡?」
 頭の上で、さっきの声がした。どうやら、誰か人間に衝突し、抱きとめられたらしい。パニックで半分目を回したまま、歩は顔を上げ、片手でずれた眼鏡をかけ直した。
 そして、この日何度目かの驚愕に見舞われた。
 心配そうに歩の顔を覗きこんでいるのは、すらりとした長身の少女だった。艶やかな黒のストレートヘアは背の中ほどまで伸び、ふわりと広がっている。それに縁取られた小さな顔は透きとおるくらい白い肌を持ち、さっと紅を刷いたように色づいた頬、なめらかな唇、そしてなにより印象的なのは、涼やかな切れ長の目だった。瞳の色はどこまでも深い漆黒で、見るものを吸い込むようにとらえて離さない。
 歩は、彼女の名前を知っていた。聖カタリナの生徒で知らない者はいないだろう。泉山 早雪(いずみやま さゆき)――二年生、生徒会役員、弓道部部長、学業?スポーツ双方の特待生。旧家のお嬢様で品行方正容姿端麗とくれば、女子校の中にあっても崇拝者は大勢いる。六月の誕生日と十二月の聖夜、二月のバレンタインに学生寮の彼女の部屋に届く贈り物の量はもはや伝説の域に達している。そして何より、彼女は現実世界に存在する人間の中で唯ひとり歩が「物語の主人公たり得る」と信じる人物なのだ。
 あれは、歩が聖カタリナに入学して二ヶ月ほど経った、雨の日の放課後だった。洗面所に行っていた歩が、旧図書室の一番奥、すっかり定席となった丸テーブルに戻ろうとすると、いつのまにか赤いラシャ張りの椅子に腰掛けていた上級生がいた。
 完璧な曲線を持つ長い脚を無造作に組み、そこに歩が読みかけていた本を置いて、視線を活字に滑らせていた。黒絹のような髪をときどきかきあげながら指先だけでページを繰る仕草があまりにも優美で、歩は息をするのも忘れて立ちすくみ、その姿を見つめつづけた。もし歩の手からハンカチが滑り落ち、わずかに空気を揺らしてカーペットに落ちなければ、その時間は上級生が本を読了するまで続いたかもしれなかった。それほど彼女の集中は深かった。
 かすかな物音に上級生は顔を上げると、深い闇色の瞳をまっすぐ歩に向け、ごくわずかに目を見開いた。視線を合わせたまま、歩は動けず、口を開くこともできなかった。
 ――やがて上級生はにこりと微笑むと、口を開いた。
「ごめん。これ、君の本か」
 歩が読みかけていたページをぴたりと開くと、本をテーブルに戻し、立ち上がった。優れた長身で、歩の視点は彼女の肩ほどまでの高さしかなかった。わけもなく、猛烈にドキドキしはじめた心臓を両手で抑えながら、歩はどうにか口を開き、こわばった舌を必死で動かした。
「あっ、いえっ、あのっ」
 すーはーと一回息継ぎし、
「わ、わたしはいつでも読めますから! よかったらその本、読んでてく、くだ、ください!」
 歩がどうにか言葉を喋り終えると、上級生はふたたび微笑んだ。
「いや、私は昔読んだから。悪かったね、邪魔しちゃって」
 ほんの少し低い、少年のような響きのあるその声は、ぞんざいな口調がとてつもなく似合っていて、聴いているだけで歩はぼーっと頭に血が上ってしまった。上級生は長い髪を揺らしながら歩き始めると、歩の前で腰をかがめ、カーペットからハンカチを拾い上げた。
「あ……――
 すみません、の形に口を動かすものの音が出ない。上級生はハンカチを歩に手渡すと、すれちがいざま頭にぽん、と手を置き(その瞬間歩の心臓は二、三拍ぶん飛んだ)、そのまま入り口のほうへと去っていった。歩は体ごとぐるりと振り向き、彼女が書架の向こうに姿を消すまで息をするのも忘れて立ち尽くしていた。あんな人が本当にいたのか――と思った。この灰色の現実世界にありながら、彼女だけは歩がいままで読んできた本の主人公たちに劣らない、鮮やかな運命の色を持っているように思えた。
 その数日後にあった生徒集会で、歩は彼女の名を知った。壇上に立ち、年度予算について報告する彼女――泉山早雪の姿を大勢の生徒の列に埋もれて見つめながら、歩は彼女の放つ物語的なオーラにもういちど触れてみたいと心から願ったのだった。

 残念ながら、それ以後、旧図書室で早雪に出会うことはなかった。歩はときどき遠くから、常に多くの生徒達に囲まれている彼女を見つめ――そしてたまに視線が合ったような気がするたび、仄かな喜びと寂しさの両方を味わいながら、わたしとはちがう物語に住む人なんだ、と思い続けてきた。
 その泉山早雪の可憐な美貌が、いま、歩の目の前にあった。
 それだけじゃない。歩の両腕は彼女の体に固く回され、彼女の手も歩の背を支え――簡潔に表現すれば、歩と彼女はしっかり抱き合っていた。
 状況を認識した瞬間、歩は自分が今陥っている異常事態がさっぱり吹き飛ぶくらい、頭の中が真っ白になった。
 学校指定のざっくり編んだニットに包まれた早雪の体はしなやかで、それでいて柔らかく、グラス系の不思議な香りがした。指に触れる黒髪はしっとりと細く、肌はその名のとおり白く――いつもずっと遠くから見つめるだけだった早雪の姿が、今、歩の腕の中に――
 いや。いつも見ていた姿とは、たった一つ、違うものがあった。
――――???)
 いよいよアタマが状況についていけなくなり、歩はソレを見上げたまま、目を丸くしてフリーズした。
 歩の顔を心配そうに見下ろす早雪の綺麗に切りそろえた前髪、そのすぐ上。彼女は不思議なものを被っていた。
 基本的には真っ黒な帽子だ。だが、つばがとてつもなく広い。抱き合っている歩の頭上にまで伸びているそれは、角が放射状にいくつも伸びており、まるで黒い星のようだ。つばのすぐ上には深紅のリボンが巻かれ、左よりの場所に金色にきらめく五芒星のプレートがふたつ飾られている。帽子はそのまま三角に尖りながらにゅっと伸び、後ろに折れ曲がって、早雪の背中のほうにまで垂れ下がっている。
 物語の中で見慣れたモノではあった。魔女のとんがり帽子、そのままだ。でも現実世界でそれを被っている人を見たことは、もちろん、ない。
――――?????)
 目と口を丸くして、ぽかんと歩がその帽子に見入っていると。
 突然背後から、低く、長く、あの音が響いてきた。
 ぐるるるる…………という、獣が喉の奥で唸る声。それを聞いた途端、歩はさっきまで自分を追ってきた「何か」のことを思い出し、体をすくませた。早雪の胸に抱かれたまま、首だけひねってドアのほうを見やり――青くなった。
(ドアが、開けっぱなしだ――!!)
 調理実習室のドアは、歩が飛び込んだときのまま半ばまで開き、夕陽に薄暗く照らされた廊下が見えている。その向こう、階段のほうから、あの音が近づいてくる。低く、粘りつくような唸り声、かち、かちと爪が床を引っ掻く音。もう、「あいつ」が入り口に姿を現すまで数秒もないだろう。
「ど……ドア、閉めないと」
 早雪を見上げ、ごくごく小さなかすれ声でささやく。だが、早雪は歩の体に腕を回したまま、顔を近づけ、小さいがはっきりとした声で言った。
「だいじょうぶ。この部屋は結界を張ってある。まだしばらくは気づかれない」
 けっかい、が結界のことだと気づくのに一秒ほどかかった。だが何がどう大丈夫なのかさっぱりわからない。
 それでも、早雪の声があまりにも穏やかで自信に満ちていたため、歩はわずかに勇気付けられ、再びドアのほうを振り返った。
 かち、かち。足音が近づいてくる。獣が匂いを嗅ぐとき特有の荒い鼻息が耳に届く。やがて、開いたドアの向こうに見える磨かれた板張りの床に、ひときわ黒い影が伸び――直後、そいつがぬっ、と頭を見せた。
 つぶれた鼻。角張った顎から黄ばんだナイフのような牙が覗き、赤く濡れた舌がだらりと垂れ下がっている。額は厚く、落ち窪んだ眼窩には愚鈍そうだがある種の知性を感じさせる小さな目が光り、耳は頭の両脇に鋭く突き立っている。
 昔、歩を散々おびえさせた黒いグレートデンに、とても、とてもよく似ている。でも、あの犬は、歩が中学生のときに人を噛んで処分されたはずだ。それに、今目の前にいるやつは――とてつもなく、大きい。犬の大きさじゃない。子牛ほどのサイズがある。
 巨大な黒犬は、ドアの向こうに頭から逞しい両肩までを覗かせると、そこでぴたりと立ち止まった。鼻面を宙に差し上げ、盛大に噴気を洩らしながら匂いを嗅ぎつづける。歩は、恐怖で全身が凍りつくのを感じた。耳鳴りがする。呼吸ができない――
 その時、早雪が一際強く、歩の体をぎゅっと抱いた。早雪の胸に密着した歩の耳に、あくまで穏やかで、力強い鼓動の音が響いてきて、歩の金縛りが解けた。
 黒犬はやがて頭を下げると、歩たちのほうを見ることなく、ちゃ、ちゃと爪を鳴らしながら廊下の先に消えて行った。
「はぁー…………
 歩は安堵のあまり深くため息をついた。もう一度、早雪の顔を見上げる。早雪が腕を解く気配がないので、これ幸いと歩もしっかり抱きついたまま、とりあえず口を開こうとしたのだが。
「あ、あの、ええと……
 余りにも今の状況が異常すぎて、何から聞いていいのかわからない。歩が口をぱくぱくさせていると、早雪はちいさく微笑んで、喋りだした。
「聞きたいことはいろいろあるだろうが、一から説明をはじめるととんでもなく長くなる。あまり時間も無いんで、まずは私から聞いてもいいか?」
 歩は口を閉じ、こくこくと頷く。
「じゃあ、まず、――なんで、こんなとこにいるんだ?」
……えっと、あの……
 ――そう言われても。それは歩のほうが聞きたい。おずおずと口を開く。
……わたし、旧図書室で本読んでて……。居眠りしちゃって……。起きたら夕方で、帰ろうと思って部屋から出たら……こんなことに……
――旧図書室?」
 早雪の顔がわずかに厳しくなる。
「図書室で……何か、見たか?」
 歩はちょっと考え、再びこくりと頷く。
「はい。あの――燭台と、赤い蝋燭を……
「なんだって……!? あれが、見えたのか」
 早雪が僅かに驚きのにじんだ声で言い顔をぐいっと近づけてきたので、歩はまた顔を赤くしながら、頷く。早雪は唇を噛み、眉を寄せると一際低い声でさらに聞いてきた。
……触らなかったろうな?」
「え……
――触らなかったろうな??」
 畳み掛けるように問い詰められて、歩は慌てて首をぶんぶんと振った。
「さ、触ってません!! ――でも」
……でも?」
「あの、その……危ないと思ったんで……火を……
 どうやら、自分が早雪にとって何かとんでもないコトをしてしまったらしいことに気づいて、歩は首を縮めながら小さな声で言った。
……吹き消しちゃいました……
「ふきけ――
 早雪は、目を丸くして絶句した。直後、鼻と鼻がくっつくほどの距離まで顔を寄せてきて、歩の目をまじまじと見詰めてくる。抱きしめられているため顔を引くことができず、歩はこれ以上ないほどに真っ赤になってしまう。
「永岡――お前、まさか……
「は、はい……
 早雪はしばらく真剣な瞳で間近から歩の瞳を覗き込んでいたが、やがてふっと表情を緩めると、言った。
「いや……なんでもない。ともかく、結界もそう長くは保たない。早いとこ奴を片付けないと……
 黒犬が去っていった方向をキッと見やると、早雪は歩の体に回した腕を解き、背すじを伸ばした。とても残念だったが歩も手を離して、一歩後ろに下がる――
 途端に、この妙な事態に巻き込まれてから常につきまとっていためまいの波が、かつてない強さで襲い掛かってきた。
 視界が歪む。重力の方向がおかしくなる。喉もとに吐き気がこみ上げてくる。
「あ……さゆき……さんっ……
 声を絞り出しながら、歩は右手を伸ばした。こらえきれず、床に膝をついてしまう。
「どうした永岡っ……!?」
 早雪は歩の腕を取ると、自らも膝をつき、再び抱きかかえるように右手を背中にまわしてきた。歩は全身に力が入らず、早雪の胸に上体をぐったりともたれさせてしまう。暖かい早雪の体に密着していると、不思議なことにめまいが少し楽になる。
「な、なんだか……めまいが、するんです……
「あっ……
 歩を強く抱きながら、早雪は鋭く、短い声を上げた。
「そうか……しまった……。実存界の人間が生身で幽冥界に入り込んだから、心気を奪われているんだ」
「じ……じつぞん……?」
 歩には、早雪の言葉の意味がまるでわからない。
「簡単に言えば――すぐここから出ないと、永岡、きみはいずれ死ぬってことだ」
「し……!?」
 サラリと口にした早雪の言葉を数秒かけて理解し、歩は口をぱくぱくさせた。
「死ぬ……って……わたしが……!?」
「そうだ」
「そんな……一体、何を……
 早雪と遭遇したとこでどこかに忘れていたパニックの渦が、ふたたび歩の心の中に忍び込んできた。冷たい汗が背中を伝う。無意識のうちに早雪の腕を強く掴み、歩は半ば叫ぶように言った。
「なんなんですか……これ、なんなんですか!? さっきの犬とか……早雪さんの、その帽子とか……わたしが……死ぬとか……!。こんなこと……あるわけないです。こんなの……こんな変な話、現実に起きるわけがない……。ファンタジーの本の中だけのことでしょう……!?」
 歩のその言葉を聞いた早雪は、無言のまま、不思議な表情を湛えた瞳でしばらく歩を見ていたが――やがて、今までの歩の人生で最も衝撃的な言葉を口にした。
「あのな、永岡。残念だけど――きみの好きな幻想文学な……。あれ、一割くらいは、本当の話なんだ」
 今度こそ歩は言われたことの意味がわからず、頭のなかが真っ白になった。
「本当……? 本当って……
 ぼんやりと呟く歩のすぐ目の前、ほとんど頬に唇が触れるほどに顔を近づけた早雪は、夜闇の色の瞳をきらめかせながらごくごくかすかな声でささやいた。
「知りたければ、教えてあげるよ。世界の、真の姿を」
 めまいで頭はぐるぐるするし、混乱も消えたわけではなかったけれど、それでもその言葉を耳もとで囁かれたとき、歩の心臓は痛いほど高鳴った。予感がした。自分が今まで属していた灰色の世界が何もかも砕け散る予感。物語が、始まる予感――
 歩はゆっくり、大きく頷いて、言った。
「教えてください……。何もかも、全部」

(つづく) 

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