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日志

 
 

【生肉】【川原砾】JUST IN MY EYES  

2013-04-12 20:26:19|  分类: 轻小说阅读 |  标签: |举报 |字号 订阅

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【生肉】【川原砾】JUST IN MY EYES - sinonhecate - Sinonhecate

 



 学校の帰りに立ち寄った図書館で思いのほか長い時間を過ごしてしまい、自宅の最寄駅に着いた時にはすでに一日が終わろうとしていた。超高架モノレールを降り、改札機のタッチパッドに指先を滑らせて通り抜ける。駅前広場に出ると、初冬の冷たい風がちくちくと頬を刺した。
 俺が通学に使用している超高架モノレールは池袋から北西に東京新階層(レイヤー)を貫いて走り、練馬区西部、レイヤーのほとんど端で終点となっている。二千年代初頭に着工され、今や皇居を除く東京中央部の全てを覆い尽くすに至った巨大な積層構造物――地上、旧東京の住民にとっては頭上二百八十メートルにのしかかる忌々しい天蓋であり、レイヤー上に住む者にとっては常にある種の不安感をもたらす頼りない人工の地面――はここ数年でようやくその拡大ペースをゆるめ、俺の住むこのあたりはいくつかの建設計画が宙に浮いたまま頓挫しかかっている。言わば空中の辺境だ。レイヤー上の構造物も少なく、特に冬場は高空を吹き抜ける冷たい風に常にさらされている。
 俺は制服の上から着込んだオリーブグリーンのコートのジッパーを首元まできっちり引き上げ、両手をポケットに突っ込んで歩き始めた。歳の割に上背のある俺は、制服さえ隠せば少なくとも中学生には見えない。駅前広場の端に設けられた交番に立つ、いかめしい装備の警官の前を足早に通り過ぎる。世の中の生活リズムがどんどん夜型に傾くにつれ、皮肉なことに、未成年の深夜における外出は厳しく取り締まられるようになってきている。
 駅に隣接した、夜通し営業している総合ショッピングプラザの人込みを通り抜け、工事中の区画が多い住宅街に差し掛かるとようやく夜らしい暗闇と静寂が周囲に満ちた。俺は歩調をゆるめ、ゆっくりと自宅への道を辿った。
『夜はずいぶん冷えるようになったねえ』
 俺の隣で、妹のみさおが言った。俺は視線をちらりと右へ向けた。俺と同じ学校の制服の上に、今日はライムグリーンの暖かそうなダウンコートを着込み、丁寧に同系色のマフラーまで巻いている。
『もっと早く出ればよかったね』
「何言ってんだ」
 俺は小声で呟くように答える。
「お前がもうちょっともうちょっとって、結局閉館時間まで粘ったんじゃないか」
『えへへ』
 みさおはちらりと舌を出し、笑う。
『だってあそこの図書館、すっごい速い無線LANポイント(ホットスポット)があるんだよー。うちの光回線の四十倍だよ、四十倍!』
「よくそんなに落とすデータがあるなぁ。メモリは大丈夫なのかよ」
『こないだごっそりバックアップしたから、まだぜんぜんだいじょぶだよ。明日も行こうね、お兄ちゃん』
「へいへい」
 オレンジ色の街灯に照らされた人気のない並木道を、他愛ないやり取りをしながらゆっくり歩く。一日の中で、みさおとこうやって普通に会話ができる時間はごく少ない。
 そのうち、前方に明るい光を放つ小さな店舗が姿を現す。俺たちの行きつけのコンビニ《ブレークイン》だ。俺はみさおの方を振り向く。
「何か買うものあったっけ?」
『んーとねえ』
 つ、と宙に視線を走らせるみさお。何かの声を聴いているかのように首をかしげる。
……ヨーグルトがもうないよ。ウーロン茶もない。洗面所の明かりが切れそうなのと……ファイルサーバの副記憶メモリも一枚そろそろあやしい』
「最後のはここじゃ売ってないぞ」
『そっか』
 またちろっと舌を出す。
 夜十一時を回ったばかりだというのに、《ブレークイン》の店内には一人の客も居なかった。今時のコンビニにしては珍しく店員を置いているせいで客足が遠のいているのは間違いないと思うが、もう30年から同じ商売をしているという店長は頑固に己の方針を貫いている。
 顔馴染の店員の「いらっしゃいませ」に目で軽く応えると、俺は入り口右側にずらりと設置された総合端末機の一つにアクセスした。ELパネルに表示される今日発売の雑誌や本、ソフト一覧に目を通す。
 興味を引かれたタイトルはいくつかあったが、どれも俺の住基コードでは年齢制限にひっかかって買えないものばかりだったので諦め――どうせ後からネットでいくらでも拾えることだし――端末から離れる。隣のラックに並べられた紙媒体の雑誌類から一冊抜き出し、ぱらぱらと捲る。
 これらペーパーマガジンは、環境破壊の代名詞として猛烈な攻撃にさらされており、ここ数年で大きく数を減らしている。昔は雑誌と言えばペーパーマガジンの事であり、現在主流のデータ媒体のものを電子雑誌と呼んで区別していたらしい。紙媒体好きの俺にとっては何ともうらやましい話だ。コンピュータ情報誌を一冊選び、ラックの前を離れる。
 ヨーグルトとウーロン茶のパック、小型のLEDライトバルブ(「何アンペアのだっけ?」『120mだよ』)と、みさおが端末機の情報に気を取られている隙にスナックの棚から《じゃがまるくん明太チーズ味》と《スーパーすっぱナチョス》の袋を追加してかごに入れ、俺はレジに向かった。
 店員が無表情にレジを操作すると、カゴに入った全ての商品のパッケージ印刷に組み込まれたインク?タグがスキャンされ、一瞬で機械上部のパネルに合計金額が表示された。俺はそれを一べつし、パネルの端で赤く発光するスキャナーに人差し指の先端を軽く触れる。
 指の先、皮膚の下数ミリの部分には、俺の住民基本コードチップがインプラントされており、連動した口座データから瞬時に買い物の代金が引き落とされ、パネルに清算完了の表示が行われる。それを確認した店員は俺のチップにデータレシートを送信すると、品物を店のロゴが入った袋に詰め始めた。
 コードチップのインプラントは別に義務ではなく――あくまで2026年現在においては、だが――年配の人々を中心として、古き良き現金とカード式IDを用いて生活している人も多い。だが、一度生体インプラントチップの便利さに触れてしまうと、もう昔には戻れない。おおよそあらゆる買い物や身分証明の類は指先一つで終了するし、そもそも住基コードチップは、インプラントチップの中でも最も原始的かつ低機能なカテゴリーに分類されるモノなのだ。現在ちまたに氾濫しているブレイン?インプラント?チップの無茶加減に比べれば、指先にIDを埋め込むなんて手のひらにインク?ペンでメモをするのと大差ないレベルだ。
 店員の手許を見ながらぼんやりとそんなことを考えていると、突然肩口からみさおが顔を出し、憤慨した口調で叫んだ。
『あーっ! お兄ちゃんまたそんなジャンクスナック買い込んでる!』
 いきなり目の前に女の子が出現し、大声で喚いたというのに、店員は一瞬たりとも動きを止めない。視線を上げさえしない。
 当然だ。彼にはみさおの姿は見えないし、声も聞こえない。
 三年前のある日を境に、みさおは現実の肉体を失った。今、彼女の存在を認知することができるのは俺だけだ。
 俺の脳奥深くにインプラントされた、巨大な人工ニューロン集積チップ。それが俺の最愛の妹、みさおの物理的存在の全てなのだ。

 店を出ると、俺たちは再び家路を辿った。みさおは俺の右横の定位置でわずかに宙に浮かび、ゆっくりと回転しながら目を閉じてハミングしている。
「なにか聴いてるのか?」と尋ねると、みさおは薄く目を開け、
『図書館のミュージックライブラリの、すっごい奥でみつけたデータ。お父さんとお母さんが好きだったやつ……
 呟くように言った。同時に俺の頭の中に、懐かしい旋律がフェードインしてきた。旧世紀のアーティスト、ビートルズの《Penny Lane》だ。両親がよく聴いていたトラック。
 俺も、みさおの声にあわせて歌詞を口ずさみながら人気のない道をゆっくりと歩いた。あの日も、カーステレオでこの曲がかかっていた。三年前、俺をとりまく世界の全てが変容してしまった日。そこに向かって、俺の記憶はゆっくりとさかのぼってゆく。



 合成タンパク質から造られ、人間の神経電流から動力を採る生体インプラントチップが実用化されたのは2007年のことだった。当初は心臓用のペースメーカーや補聴器といった障害補佐用に開発されたものだったのだが、すぐに、障害を補うだけでなくそれ以上の利便性を提供しようと考えるメーカーが現れ、財布代わりのクレジット?チップや身分証明用のIDチップなどが次々と商品化された。
 数年後には、神経から動力を採るだけでなく、神経と直接データ結合を行うブレイン?チップが開発され、人間の生活は飛躍的な変化を遂げた。人間は頭の中にコンピュータを持つことになったのだ。その用途は無限と言ってよかった。今世紀初頭に提唱された《ユビキタスネットワーク》や《パーベイシブコンピューティング》といったネットワーク遍在コンセプトが一気に陳腐化するほどに人間とコンピュータ?ネットワークの距離は密接になものとなっていった。人類史における壮大な過渡期、その真っ只中の2011年に俺はこの世に生を受けた。

 俺――御蔵健(みくら たける)と妹――水佐緒(みさお)は双子として母親の胎内に宿り、しかしこの世に生まれ落ちたのは俺のほうが一年も早かった。何の異常もない、健康な赤ん坊だった俺に比べ水佐緒は超未熟児で、分娩直後に人工子宮に移されて一年の成長促進治療を必要としたのである。
 水佐緒がカプセルから出ることを許され、家族の一員となった時俺はまだ一歳でそんな事情など理解できるはずもなかったが、水佐緒より一年早く幼稚園に上がったときに両親からその話を聞かされ、幼心にも自分が妹のぶんまで栄養を奪ってしまったから水佐緒がちゃんと成長できなかったのだと思い悩んだ。
 以後俺は、子供として可能な限り水佐緒に愛情を注ぎ、水佐緒もよく俺になついて、常に一緒にいるようになった。一度として喧嘩をすることもなく、周りにからかわれようと気にかけずに――水佐緒はずっと自分が守るのだという決意を貫き通した。だが、俺たちが兄妹となって十一年後、その生活は理不尽な悲劇によってあっけなく崩れ去った。

 その日――2023年10月最初の日曜日、両親と俺たちの家族四人は自家用車でドライブに出かけた。俺は十二歳、水佐緒が十一歳。二人は後部座席に体を沈め、ぴったりくっついてカーステレオに耳を傾けていた。旧世紀もかなり深いところ生まれの父親の音楽の趣味はいささか古く、当時すでに主流になっていた脳内チップによる無限チャンネル再生を良しとせずに、車の中には伝統的なスピーカ再生による音楽が流れていた。
 車は世田谷の自宅を出て、新青梅街道を都心部へと向かっていた。その前月に東京レイヤーの第一期工事がほぼ終了し、都心上空に広がる空中都市が一般公開されたのである。伝統的木造建築の設計士だった両親は、いずれ東京十七区の空をすべて覆い尽くそうという東京レイヤー構想にかねてから懐疑的で、その日も《商売敵》である巨大積層構造コンストラクターの仕事振りを敵情視察に行こうという計画だった。俺と水佐緒は単に新名所の見物ができることを無邪気に喜んでいたのだが。
 街道は新宿区に入ったあたりでレイヤーへ向かうジャンクションに分岐し、二百八十メートルを上昇するループ道路へと続いた。俺と水佐緒は体を寄せ合って左のウインドウに顔をつけ、どんどん高くなる風景に心を躍らせていた。両親はレイヤー工事の難点について活発に意見を戦わせていた。スピーカーからはビートルズのペニー?レインが軽快な旋律を響かせていた。
 同時刻、片側五車線のループ道路、その対抗車線を、建築廃材を満載した巨大トレーラーが下ってきていた。トレーラーは法定積載重量と法定速度をともにやや逸脱していたが、それは大した問題ではなかった。運転手は重度の睡眠不足で、ビールの缶をひっきりなしに傾け、ウインドウに投射されたテレビ番組の小窓に夢中になっていたが、それすらも核心的な問題ではなかった。
 問題は運転手の脳にインプラントされたドライビング?チップ、トレーラーの自動運転機能とリンクしてその制御をおこなう最新のブレイン?インプラント?チップの一部にごく僅かだが深刻なエラーが発生し、それが自己訂正しようのない規模にまで拡大しつつあることだった。

 午前十一時三分、俺たち家族の乗ったボックスカーと大型トレーラーがループ道路の地上二十メートル地点ですれ違おうとしたとき、とうとう問題のブレインチップのエラーが致命的な領域へと突入した。崩壊しかけたチップは前方にありもしない障害物の幻影を見た。チップから自動運転装置へ、最大減速と急激な右ターンの命令が下され、運転装置は一度は自己の状況判断によってその命令を拒否したものの――再度拒否権のない緊急避難扱いの命令が来るに及ぶとそれに従わざるを得ず、全車輪のブレーキディスクを思い切り締め付けると同時にステアリングを横転寸前の角度で右に切った。
 トレーラーは中央分離帯に設けられたフェンスを容易く突き破り、十個のホイールから火花を撒き散らしながらまっすぐ俺たち四人の載った車に突っ込んできた。中央寄りの車線を飛ばしていたスポーツタイプのセダンがまずトレーラーに激突して高くはじき飛ばされたが、それでもトレーラーの運動エネルギーはさして減少もせず、巨大な質量の塊は高速でボックスカーの側面に襲い掛かった。
 巨象がガゼルの子供を跳ね飛ばすようなものだったろう。俺たち一家の乗った車は、あっけなくループ道路の端から吹き飛ばされて、強化アクリルパネルのフェンスを突き破って高さ二十数メートルの空中に放り出された。
 俺はその時のことをほとんど覚えていない。耳元で水佐緒が「おにいちゃんっ……」と悲鳴を上げ、俺は必死に妹の体を抱きしめ、その後数秒――から数十秒に感じられた浮遊感――ドアと屋根から白い衝撃吸収フォーム?バッグが噴出し――

 巨大な不運のなかの僅かな幸運と言うべきか、家族四人を閉じ込めた飛翔する棺桶となったボックスカーが墜落したのは、ちょうどループ道路の真下にあった大規模な総合病院の駐車場だったのだそうだ。
 だがその幸運の手が絡め取ったのはわずかな、ほんのわずかなものだけだった。俺の命――そして水佐緒の意識――。それだけだ。せめてその二つが逆だったら、と、その後何度思ったことだろう。
 重く黒い水のなかをゆっくりと浮上するような、長く、もどかしく、不快な感覚のあと意識を取り戻した俺に、医者は容赦ない言葉を浴びせた。
 両親は死亡。水佐緒は意識不明の重体。多分、そう長くは――
 その言葉を聞いたとき、俺は両親の死よりも、水佐緒がこれから死ぬであろうという事実に巨大な衝撃を覚えた。自分の体を無数の機械に繋いだ無数のコードを引きちぎって水佐緒の元に向かおうと弱々しく両手を動かした。医者は俺のその動きをおしとどめ、ある託宣を行った。その言葉は今でも一言一句覚えている。
『タケル君、きみの妹、水佐緒ちゃんは多分あと二日と保たない。最先端の医療器械でも補いきれないほど、彼女の臓器は激しく損傷してしまった。――だが、今なら――彼女の、水佐緒ちゃんの意識だけは助けられる』
 どうやって、と俺は唇の動きだけで訊いた。
『最新のブレインチップに、水佐緒ちゃんの意識、記憶、そのほとんど全てを移動させる。それを君の脳にインプラントする。そうすれば、彼女は君の中でこれからも生きられる』
 生きられる。いきられる――
 十二歳の俺には、その言葉が全てだった。いや、たとえ今、十五歳になった俺が同じ選択を迫られたとしても、答えは一緒だろう。それが正しかったのか間違っていたのか、今の俺にもまだわからないのだから。
 おねがいします――。俺は医者に向かって声にならぬ声で言った。
 三年経った今、ただひとつ言えるとすれば、その選択の意味を決められるのは俺ではなくみさおだけだ、ということだ。俺は水佐緒の意識を引きずり出し、チップに封印してまで一緒に居たいと願った。全てが終わったあとでそれを知った時、水佐緒は最初に何を思い、感じたのだろう。
 俺は、さまざまなチューブに拘束された右腕を必死に動かし、いくつかのライトパッドにサインし、拇印を押した。それで手続きは全て終了だった。力を使い果たし、俺の意識は再び暗い淵へと沈んでいった。

 後から知ったことだが、当時、とある大手のブレインチップメーカーと、俺と水佐緒が入院した巨大な総合病院では、共同で新型チップの開発が進んでいたのだ。
 《エターナルメモリー計画》と名付けられたそのプロジェクトは、死が避けられないと判断された患者の記憶を含む全人格をチップに吸い出し、最も近しい人間――親、子供、配偶者、恋人――の脳にインプラントするというものだった。チップは《宿主》の視聴覚神経に接続され、愛する者の姿、声を、《宿主》だけは見、聞くことができる。病院は、当時チップの実用化試験に協力する患者――とそのパートナーを探しており、俺と水佐緒が担ぎ込まれたのは子供の被験者を募集している最中のことだったのだ。
 最終的に、俺たちを含めて十組の、死を待つばかりの患者とそのパートナーがEMチップの実装試験手術を受けた。一つの体に二つの意識、死によっても分かたれぬ絆で結ばれた新しい形態の想い人たち。
 それが二人にとって幸せなことなのかどうか――一般論化されたその答えは、結局出ることがなかった。
 プロジェクトは悲惨な失敗に終わったのだ。たったひとつ、俺と水佐緒の例だけを除いて――

 再び俺の意識が戻った時には、すでに全てが終了していた。
 最初に見たものは、俺が横たわるベッドの上空数十センチに浮遊し、じっと俺の顔を覗きこむ水佐緒の姿だった。まだ視神経とEMチップとの接続が完全でなかったため、その姿は朧に透きとおり、はかなく発光していた。
 水佐緒は、俺と視線が合うと、にっこりと、最上の笑顔を浮かべた。つられて俺も微笑んだ。
 後から知ったことだが、その時既に、EMチップにプリインストールされた膨大なデータから水佐緒は自分の置かれた境遇を正確に理解していたのだという。まだたったの十一歳だったのだ――それなのに水佐緒は両親の死、自分の肉体的死、それらを受け止めてなお俺の前で笑ってみせたのだった。
 水佐緒は口を開き、言った。

『ありがとう、お兄ちゃん。これからも、よろしくね――



 遠い記憶の中のその声があまりにもリアルに耳元で響いて、俺は思わず立ち止まり、顔を上げた。
 目の前に、当時と変わらぬ姿のみさおが穏やかな微笑を浮かべ、両手を後ろに組んで浮遊していた。
『昔の事、思い出してたんでしょ。なんとなくわかったよ』
「みさお……
 突き刺すような胸の痛みに襲われ、無意識のうちに右手を伸ばしていた。みさおも左手を上げこちらに差しのべる。二人の指先が触れ合う――
 と見えた次の瞬間、かすかな光の粒を散らしてみさおの指は抵抗もなく俺の指を突き抜けていた。空中で重なった二つの手は握り合う仕草を空しく繰り返すが、お互いの感触を伝え合うことはできない。みさおの本体であるEMチップは俺の視聴覚神経には接続されているものの、脳のより下部に存在する触覚神経にまでは回路を伸ばすことができなかったのだ。
 やがてどちらからともなく手が下ろされる。夜の風が二人の間を吹き抜けてゆく。オレンジ色の街灯の光が俺たちを照らしているが、結晶素材の路面に伸びる影は一つだけだ。誰よりも近く、それでいて無限に遠い二人の距離。

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 微笑みの裏に寂しげな影をよぎらせながら、みさおはふっと宙を移動し、俺の胸に頬を寄せた。かすかなささやき声で呟く。
『わたし、こうなったことを一度だって後悔したことないよ。お兄ちゃんとずっと一緒にいたい、その望みが叶ったんだもん』
 俺は何も答えなかった。言葉に出さずとも、俺の内に満ちる思いはみさおにも間違いなく伝わっているだろうから。
 二人の家はもう間近だった。周囲に建築物はまばらで、レイヤーの基材である陽光透過結晶体の平原が暗闇の中どこまでも続いている。目を凝らせば西の彼方にはレイヤーの縁を示す青の標識灯が並び、その向こうにぼんやりと地上?旧東京の夜景が無限の連なりを見せている。
「今度の日曜、墓参りにいこうか」
 俺の言葉に、みさおは胸から顔を上げると、にっこりと笑った。
『うん。ビートルズ、聴かせてあげよう』



 ゆうべの夜更かしが祟り――遅くまで二人で古い音楽を聴いていたのだ――てきめん寝坊した俺は、駅に向かう道を必死に走っていた。隣ではみさおが空中で横になり、お腹の上で両手を組んでのんきに眠りの余韻をむさぼっている。
「ったく……お前もせめて走る真似くらいしろよ」
 俺が小声で文句を言うと、薄く片目を開け、
『あと四分二十七秒でホームに着かないと遅刻だよー。今のペースだと約二十秒足りないよ』
……
 俺は無言で走るペースを速める。凍るような朝の空気を貫いて降り注ぐ低い日差しが、路面を透過し、乱反射してきらきらと輝いている。今日はいい天気になりそうだ。
 駅が近くになるにつれて増える人混みを縫うように走る。空いている改札機の間に滑り込むと指先をパッドに叩きつけて通り抜け、正面のエスカレーターを二段飛ばしで駆け下りる。超高架モノレールはレイヤーの底面にぶら下がって走るので、ホームまではレイヤーの厚み約二十メートルを下らなければならない。
 エスカレーターを半分下ったところで、無情にも発車ベルの音が鳴り響き始めた。
「うっ、ヤバい。みさお、頼む!」
 エスカレーターの手すりに片足のつまさきを乗せ、軽やかに滑り降りているみさおを見上げて必死の形相で頼み込む。俺の学校はそれほど厳しくない校風だが、俺は優等生で通っているので――さもあればこそ数々の裏活動がカムフラージュされるのだ――可能な限り学業データに無用なキズはつけたくない。
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『しょうがないなあもうー』
 みさおは肩をすくめて滑り降りる速度を速めると、俺より数秒早くホームに到達し、今まさに閉まりつつあるモノレールのドアに向かって右手の指をパチンと鳴らした。
 その途端、がくんと音を立ててドアの動きが停止した。ホームに立つ駅員が慌てたように列車の前後に目を凝らしている。みさおが車両制御CPUに割り込みをかけ、ドアを止めたのだ。
『サンキュー、妹よ』
 俺は脳内で呟くと、駅員の横をすり抜けてわずかに残されたドアの隙間に体を滑り込ませた。直後、かすかなモーター音とともに再びドアが閉まり、プラスチッキーな濃紺の光沢を持つモノレールの車体はなめらかにホームから滑り出した。

「ふうー」
 俺はドアと座席の角に体を預けると、大きく息をついた。隣ではみさおが唇をとがらせている。
『んもー。アレ、見る人が見たらログからハッキングがばれるかもしれないんだからねー』
……みさおがちゃんと起こさないのが悪いんだ』
『あたしだってたまには寝坊しますぅー』
 周囲に大勢人がいるので、これらのやりとりは俺の脳内チャンネルでのみ行われている。これでも、バックグラウンドの思考を声に出さずにみさおと意識だけで会話するのは高等技術なのだ。
『わーかった、今日も図書館に連れてってやるから』
 そう言うと、ようやくみさおは持ち前の太陽のような笑顔を見せる。そんな時のみさおは我が妹ながら見とれてしまうほど可愛い。――こういう思考を読まれるとあとで大変なのでなにくわぬ顔でブロックしたつもりが、うっかり表情のほうまで気が回らず――
「朝から何をニヤついているのかね少年」
 不意に声をかけられ、俺は慌てて左側面に向き直った。
 立っていたのは、みさおと同じ――つまり俺と同じ学校の制服を身につけた少女だった。と言ってもリボンの色は俺より一学年上、高等部一年のものだ。艶やかな黒のストレートヘアを背中に垂らし、前髪を額の上で赤いルーセントカラーのヘアバンドを使ってまとめ上げている。同じく赤の結晶素材のきゃしゃな眼鏡をかけ、その奥では気の強そうなややつり目気味の瞳がきらきらと輝いている。腕組みをしてあごをつんと上げた仕草は生意気そうだが、同時に眩しいほどの生気を感じさせる。
 俺はわざとらしく咳払いすると、口を開いた。
……いえ、何でも。おはようございます、黄先輩」
 言った瞬間、メガネの少女の右手が神速で伸び、俺の口元をぎゅっとつまみあげる。
「少年、私がすっごく嫌いなのは何だか教えてなかったかな?」
……苗字で呼ばれるのと、先輩づけされることれふ、珊花さん」
「よろしい」
 にっこり笑って手を離す。
 黄珊花(ファン?シャンファ)――というのが彼女の名前だ。この美人だが奇天烈な女は俺の通うTLU付属学校の一年先輩で、二年半前、魔が差して所属してしまった《電脳研究部》の部長が彼女だった時以来の付き合いだ。入ってみれば部長と言っても部員は他に一人もおらず――コンピュータ系のクラブはもっと健全で大規模なものが他に三つもあったことを後から知った――俺は以後雑用、時として学業を逸脱した怪しい仕事にこき使われた。もっとも珊花狙いの男の入部希望者はかなりいたらしいのだが、課された入部試験を前に全員が玉砕したのだという。だが俺に言わせればその連中は運良く難を逃れたことを感謝すべきだ。
 電脳研は研究とは名ばかりで、その実態はコンピュータやブレインチップにまつわるトラブル全般を引き受ける便利屋であり、依頼は学内だけにとどまらず更には時として結構な額の謝礼を受け取っているというのだから酷い話だ。無論俺も相応のものは戴いているがどう考えても学校のクラブ活動としては間違っている。
 珊花は今年から高等部に進学して、これでようやく腐れ縁ともおさらばだと胸をなでおろしたのだが、何の事はない、中等部フロアのすぐ上が高等部フロアだったというだけの事で結局毎日一度はこうして顔を合わせている。俺一人になった電脳研にも相変わらず頻繁に顔を出し、あれこれ命令していくのだから堪らない。
 もっともみさおはどういう理由か知らないが珊花のことが気に入っていて、彼女が集めてくる怪しい依頼を嬉々として片付けている。運がいいのか悪いのか、みさおの特殊能力はそれらの問題解決にもってこいなのだ。無論珊花はみさおの存在を知らないため、彼女にとっては俺がスゴ腕のトラブルバスターという事になってしまっており――まあある意味では俺とみさおが同一人物なのは間違いないのだが――、最近では校則どころか日本国の法律すら逸脱しかねない依頼も珍しくない。クローズドネットへの侵入やハードの違法改造あたりはおとなしい方で、俺を学業優秀、品行方正な優等生だと信じている教師連中が真実を知ったら目を回すだろう。
「あ、そうそうタケル君――
 何食わぬ顔で話を切り出そうとした珊花の機先を制し、俺は横目で彼女を睨みながら言った。
「依頼は当分パスだよ珊花さん。忘れてるかもしれんですが俺は受験生で今は冬なんだよ実は」
『言うほど勉強なんてしてないクセに』
 横でにやにやしているみさおの茶々に、脳内で『うるさいな』と応える。
 珊花はにっこり笑うと俺のひじのあたりを指でつつき、
「何言ってんだか、この優等生が。タケル君の成績なら高等部への進学試験なんて余裕でしょうに」
「うちの高等部とは限らないじゃないすか。地上の高校に行くかも知れんですよ?」
「え……そうなの?」
 意外にも珊花が本気で心配そうな顔をしたので、俺はあわてて手を振って否定する。
「いやまあ、そう決めたわけじゃないすけど。……今度はどんな仕事なんです? あんまりヤバいのは無しですからね」
「先輩をからかうなよ少年」
 もう一度強めに俺の肘をつつき、珊花はすました顔で腕を組むと金属のポールに体を預けた。
「詳しいことは放課後、部室でね。安心しろ、今日のは至極カワイイ部類の依頼さ。行方不明のペット探し。子猫だって言ってたかな」
「はあ?」
 それのどこが電脳研の活動と関係あるのだ。俺が疑問を追及しようとしたとき、モノレールが轟音を立てて新池袋駅のホームに滑り込んだ。俺の肩に手をかけて浮いていたみさおが、顔を輝かせて言った。
『迷子の猫さん!? おもしろそう!』

 東京レイヤーは旧東京全域に屹立する大小無数の支柱によって支えられているわけだが、池袋に立つものは《ヘキサベース?タワー》と呼ばれる、柱の中でも最大を誇る六本のうちの一つだ。完全な円形でその直径は二百メートル、地上のJR池袋駅を包み込んでそびえ、レイヤーを貫いて上空遥か八百メートルまで屹立している。そのタワーとレイヤーの接合部が新池袋駅で、レイヤーの下面を蜘蛛の巣状に這いまわる超高架モノレール網の一大ターミナルとなっている。
 ちなみに、ヘキサベースタワーの残り五本はそれぞれ渋谷?有明?葛西?四ツ木?西新井に建設されており、それらを結ぶと完全な正六角形となることから、タワーは実は巨大宇宙兵器だという説や魔術的シンボルだという説まで珍妙な噂は枚挙に暇ない。みさおも一度興味を持って無謀にも都建設局のメインフレームに侵入しようとしたが、逆にアンチウイルスの大群に追いまわされて悲鳴を上げて逃げ帰ってきたということがある。本人のプライドは相当傷ついたらしく、リベンジに向けて着々と準備しているらしいのが恐ろしい話だが。
 タワーから放射状に伸びたプラットホームに進入したモノレールは、定時に一秒の誤差もなく停止し、乗客を吐き出した。ほとんどの乗客はレイヤー表面の職場に向かうべくホーム中ほどにあるエスカレーターに消えていくが、俺たちを含むTLU付属の制服を着た生徒達は皆タワー中央方向に向かって歩きつづける。学校はベースタワー内上部に存在するため、駅からはセントラルエレベーターを使って登校することになるからだ。
 高等部の有名人――いろいろな意味で――である珊花にはたくさんの生徒達が朝の挨拶を投げかけ、彼女もにこやかにそれに応えているが、そのすぐ横で歩く俺に声をかける者は一部の女子生徒を除くとほとんど居ない。それどころか男たちは主に敵意のこもった視線を向けてくるのだから理不尽としか言いようがない。これもこの女と付き合う弊害の一つだ。どうも珊花はそんな俺の困惑を楽しんでいるのではないかと思われるフシがあり、一度彼女がホームで腕を組んできたときには高等部の複数のグループから呼び出しメールが来たものだ。無論配達エラーヘッダを偽装して送り返してやったのだが、その日はみさおも機嫌が悪く俺にとってはそっちのほうが大問題だった。
 新池袋駅の改札には最新のスキャナが備えられているため、IDコードチップをインプラントしている者はパネルに触る必要もなく通過することができる。改札を出たすぐ先には、タワーの心臓部であるメインシャフトの壁面が弧を描き、その表面にずらりと二十いくつもセントラルエレベーターの扉が並んでいる。俺と珊花が赤い急行エレベーターの扉の前に並ぶと、数秒後に箱が到着し、柔らかい人工音声によるアナウンスとともに扉が開いた。喧しい生徒たちの群は一斉にその中へと入っていく。扉が閉まり、衝撃に注意を促すアナウンスが流れた後、エレベータはリニア駆動で加速されて一気に高さ四百メートル、ベースタワー七十八階に存在するTLU付属学校目指して上昇を始めた。



 居眠りをしかけてみさおに叩き起こされること数回、九十分×三コマの退屈な講義を乗り切った俺は校舎フロア最外周の廊下をクラブ区画に向かって歩いていた。ブレインチップにどんな知識でも好きなだけダウンロードすることが可能な現在、学校の授業なんて不毛なだけだと大概の生徒は考えているが、自前の脳だけで旧世紀の受験地獄をサバイバルしてきた今の大人達はそうは思っておらずほとんどの学校で汎用チップのインプラントは禁止となっている。その校則に基づいて校内至るところにチップ検出用のスキャナが設置されており、毎年数名の生徒が網に引っかかっては強制無効化措置の餌食となっているらしい。
 規則に照らし合わせれば俺の脳に入っているみさおチップなどは違反も違反、超のつくイリーガルデバイスなのだが、入学当日にみさおはスキャンシステムに侵入?解析してしまい、そんなものどこ吹く風で俺の隣をふわふわ漂っている。
 タワーの弧に沿ってゆるいカーブを描く廊下を歩くこと数分、左手に現れた通路を曲がると理化学系クラブの部室が集まるエリアとなっている。通路に入ってしばらくは健全な大規模クラブの部室が並び、清掃も行き届いているのだがタワー中央方向へ進むにつれ徐々に様子がおかしくなる。途中一箇所ある防火ゲートをくぐると、そこはもう完全に別世界だ。照明も薄暗く、通路のそこかしこに正体不明の機械類が堆積したその有様はとても開校八年の新設校の内部とは思えない。左右に並ぶドアのプレートも《人造生命研究部》だの《学内セキュリティ対抗委員会》だのと意味不明さを増してゆく。
 這い回るケーブル類を踏み越え、カオスの中心を目指して分け入って行くと、外周から七十メートルも歩いたところでようやく通路の終端に到達する。そのどん詰まりの壁に設けられたのが我が《電脳研究部》のドアだ。右側に仰々しいロック機構が設置されているが、みさおが指を一振りすると、まるで主人の帰還を喜ぶかのように従順にインジケータがオレンジから青へと変わり、ドアがスライドした。

 部屋の中は、通路とはうって変わって綺麗に整頓されている。右手の壁面に設えられたラックには時代物から最新式までのソリッドコンピュータが整然と並び、左側にはソファーとティーテーブルの応接セット。部屋には窓は無い。ここはヘキサゲートタワーの奥深く、分厚い強化隔壁を一枚へだてた向こうはもう民間人では不可侵のセントラルシャフトなのだ。
 部屋の奥、正面のデスクには巨大なマルチモニタパネルが置かれ、早速ここの端末を介してワールドネットにアクセスをはじめたみさおの指示に従ってタスクごとに細かく分割された画面を次々に表示している。
「おい、すぐに珊花が来るからモニタはダミー表示にしとけよ」
 みさおに声をかけ、俺は荷物を置くとソファーに体を沈めた。『はぁい』という返事とともにモニタが基本デスクトップに戻るのをちらりと確認し、目を閉じる。
 今ごろ俺の脳内にあるみさおチップの広大なワークエリアには、ネットから膨大な情報が流れ込んでいるはずだ。みさおはそれらを猛烈なスピードでブラウジングし、取捨選択の処理をしているはずなのだが俺にはその活動はかすかにも感知することができない。そう考えると妙な気分になる。
 EMチップのデータシートによれば、汎用コンピュータとしての基本的なスペックは当時としてもそれほど高いわけではなく、あくまで日常生活の補佐ができる程度だったはずだ。搭載メモリのほとんどは記憶?人格の保持に消費され、余分に蓄積できるデータ容量はあまりないはずなのだが、今のみさおの能力は最新鋭のコンピュータチップと比較しても明らかに上回る。一度みさおにデータ保持や計算能力の限界はどのへんなのか聞いてみたのだが、そのへんは本人にすらよくわからないようだった。
 EMチップは市場に出ることがなかった試作品であり、いたましい失敗を経てプロジェクトは霧散してしまった。だから俺の知らない特殊機能があるのかもしれないし、あるいは何かしら予定外の変異が起きているのかもしれない。
 だが俺はずいぶん前にそれらの事を追求するのをやめた。どんなに気にしたって自分の頭を切り開くわけにもいかないし、俺にとってチップは容れ物にすぎず、そこにみさおが存在することだけが重要なのだ。俺だって変わっていくし、ならばみさおがそうであっても不思議はない。あるがままの存在であってくれればそれでいい――
 俺はソファーに寝転がり、両手を頭の後ろで組んだ。宙に浮遊しながら情報の海に意識を泳がせるみさおの姿をみつめる。胸の内に暖かい感情が満ちていく。
 不意にみさおが顔を上げると、こちらを振り向いた。頬がかすかに赤らんでいる。どうやら漏れ出した俺のエモーショナルな波動に気づいたらしい。俺は慌てて目を逸らし、そしらぬ風を装う。
 みさおはすいっと空中を移動すると、俺の真上に停止し、うつぶせの格好で顔を覗き込んできた。
「な……なんだよ」
『えへへ』
 はにかんだように笑う。俺はついその笑顔に見入ってしまう。
『お兄ちゃん、今何考えてたの?』
……内緒」
『ずるい』
 唇をとがらせる。俺の目を見つめるみさおの瞳が、こころなしか熱っぽくうるんで見える。
 みさおはそっと両手を伸ばすと、指先で俺の頬を包み込んだ。ごくごくかすかに、空気の微動にも似た感触が頬を撫でる。
 四肢の触感や熱感は、脳幹の更に下、延髄が神経の末端となっているためみさおチップは回路を繋ぐことができない。だが、顔面の神経だけはそれより上部に位置する。みさおと俺は苦労してそこまでチャンネルを開き、今では微小だが《触れる》感覚を伝えることができるようになっている。
 みさおは俺の頬に触れながら、ゆっくりと顔を近づけてきた。頭の両脇で結わえた髪が一すじぱさりと垂れ下がり、甘い香りが俺の鼻腔をくすぐる。鼓動が加速する。みさおがそっと目を閉じる。俺もそれに倣う。
 その時、入り口のドアからロックが操作される小さな電子音が響いた。みさおはさっと顔を上げると、両頬を真っ赤にしてふっと姿を消してしまった。
……何も消えなくたって、誰にも見えやしないのに」
 俺はため息をついて体を起こした。直後、モーター音とともにドアが勢い良くスライドし、この部屋のもう一人の住人――この場合は闖入者――の訪れを告げた。
「おはようタケル君! ……何赤い顔をしとるんだね君は。風邪か?」
「なんでもないです」
 俺は咳払いすると居住まいを正した。珊花は大またに部屋を横切って俺のとなりに勢いよく腰をかける。荷物を置くと開いたままの入り口を振り向き、「早く入ってきたまえ! ドアが閉まるぞ」と声をかけた。
 扉の陰からおずおずと顔を出したのは、幼さを残した下級生の少女だった。リボンの色は中等部一年のものだ。こんな魔窟の最奥に連れ込まれればそれは怯えもするだろう。
 少女は意を決したように部屋の中に足を踏み入れ、床を這いめぐるケーブルを注意深く跨ぎながらこちらへ歩いてきた。珊花が右手で、俺たちとテーブルを挟んで向き合う来客用のソファーを指し示す。ちょこんと腰を下ろした少女は緊張した面持ちで軽く会釈した。華奢な体をややだぶつき気味の制服につつみ、肩口で切りそろえた髪には大きな水色の髪留めが光っている。睫毛の長い、大きな目は不安そうに伏せられているが、笑ったらさぞ魅力的だろう……とそこまでで思考をブロックする。再び姿を現し、俺の右横に浮遊して興味深そうに少女を見ているみさおに余計な思考を悟られると後で何を言われるか知れたものではない。
「さて」
 珊花は両手を合わせるとにこやかに言った。
「まず自己紹介から行こうか。私は高等部一年の黄珊花。ここのボスだ。で、こっちが手下の――
 手下呼ばわりは甚だしく不本意だったが、視線で促され、やむなく口を開ける。
「中等部三年、御蔵タケルです」
『妹の御蔵みさおです!』
 にこにこしながらみさおも続く。もちろん珊花やユキには聞こえないのだが。
……あ、あの……中等部一年の有田ユキです……
 少女は名前を言ったあと急に声を詰まらせ、大きな瞳に涙をいっぱいに溜めて俺を数瞬見つめたかと思うと、悲鳴にも似た声で叫んだ。
「おねがいです……ピコを……ピコを探してください!」
 あっけにとられてしばしユキと名乗る少女の顔を眺めたあと、ようやく俺は今朝モノレール内で珊花から聞いた話を思い出した。たしか行方不明の猫を探してくれという依頼だったはずだ。ピコというのが猫の名前なのだろう。
「いや……悪いんだけどペット探しはうちの専門じゃ……
 言いかけた俺の言葉を珊花が遮った。
「いやいや君の専門さ、少年。ペットと言ってもナマじゃない、チップペットだよ」



 汎用コンピュータを筆頭に、通信、スケジューラ、映像?音楽再生など無限と言っていいほどのバリエーションを持つブレインチップの中で確たるシェアを占めているのが、自分だけに見え、自分だけを永遠に慕ってくれる仮想ペット、いわゆる《チップペット》である。基本的な構造は、こう言っては何だがEMチップと似ている。ペット本体のデータを保持するチップからユーザーの視聴覚神経に回路が接続され、ユーザーはいつでもペットの姿を見、声を聴くことができるようになる。EMチップと同じく触ったり撫でたりということはできないが、高額なものになるとそのAIは実際の動物以上に複雑なパーソナリティを持ち、中には言葉を喋ったり、妖精やドラゴンの姿をしているものもあるそうだ。
……ピコとは、もう五年も一緒に暮らしてるんです……
 ユキは涙をぬぐいながら言った。
「いつだって一緒で……こんなこと一度もなかったのに……三日前からいくら呼んでも出てこないんです……
「ふうむ……
 俺はそっとみさおを見上げ、意識で語りかけた。
『故障かどうか調べられるか?』
『うう?ん……
 みさおは口許に指を添え、首をかしげた。
『外部からアクセスできるタイプのチップだといいけど……。とりあえずメーカーを聞いてみて、お兄ちゃん』
 うなずいて俺はユキに尋ねた。
「チップのメーカーと型番はわかるか?」
「は……はい、クアッドキューブ社の《シャドレーPX》、型番は《CDO?3》です」
『今仕様を検索するね』
 頼む、とみさおに答えておいて、俺はユキに更に尋ねた。
「メーカーのサポートには連絡してみたのか?」
「は……はい、聞いてみたんですけど……
 ユキは悄然とうつむく。
「修理はできるかもしれないけど、その場合はペットのパーソナルデータが全部初期化されるって……。そんなの……そんなことしたらピコじゃなくなっちゃう……
 ぎゅっとつぶったまぶたの両端にみるみる新しい涙が盛り上がり、こぼれ落ちる。
「わ、わかった、できる限りのことはしてみるから! だから泣かないで」
 俺は慌ててユキをなだめた。昔から女の子に泣かれるのはブロッコリーの次に苦手だ。恨みがましい視線を珊花に向けるが、依頼を受けた当人はそしらぬ顔でモニタパネルのニュース放送を眺めている。
『みさお、どうだ?』
 すがる気持ちでみさおを見上げると、目をつぶり眉間にしわをよせて『う???』とうなり声を上げている。
『生意気なファイアウォールめ……こうしてやる、こうしてやるぅ』
 何やら物騒な台詞をしばらく呟いていたかと思うと、不意に右手で小さくガッツポーズしてにっこりと笑った。
OKお兄ちゃん、クアッドキューブの開発データ全部引っこ抜いたよ。通信プロトコルをエミュレートしてチェックするから、ユキちゃんに頭ちょっと近づけて』
『わかった』
 俺は咳払いすると、ユキの正面に向き直った。
「ええと、それじゃこれから、君のピコが入っているチップを俺のブレインチップでスキャンする。でもこの部屋には専用のヘッドギアが無いんで、ダイレクトに接続するしかない。ちょっと頭を近づけさせてもらうよ」
「は……はい、お願いします、どうぞ」
 ユキはソファの上で背すじを伸ばすと、両手を膝の上に置いて俺を見つめた。俺は立ち上がり、テーブルを迂回するとユキの前に膝をついた。
『これでいいか?』
……だめ、応答が弱くてリンクできない。もっと近づいて』
 俺はゆっくりユキに顔を近づけてゆく。ユキは顔をわずかに赤らめてうつむいている。
『もうちょっと……まだだめ……
 みさおの声に従ってにじり寄っていくと、やがてユキの足もとまで達してしまった。
『おいおい、まだなのか?』
『うう?まだるっこしいなぁ、直接頭くっつけて』
『な……
 俺はしばし逡巡したが、意を決して立ち上がり、ユキに言った。
「すまない、チップの反応が微弱でコネクトを確立できないんだ。直接頭を密着させてほしいんだが、いいか?」
「え……
 俺の言葉を数秒かけて理解したユキは耳まで真っ赤になってもじもじしていたが、やがて小さな声で「はい」とうなずくと立ち上がった。
「おいおい少年、ほんとに必要なんだろうな」
「止むを得ない処置です!」
 疑惑の目でこちらを眺めている珊花にきっぱり言い返して、俺はユキの前に立った。身長差がかなりあるので腰をかがめ、ユキの頭を両手で包み込む。ユキも体を伸ばしたが、バランスを崩して両手で俺の制服の胸を掴んだ。「あ、すみません」と離れようとする彼女に「いいよ、そのままつかまってて」と声をかけて俺は自分の額をユキの髪の生え際に密着させた。事情を知らない者が見たら誤解必至の光景だ。
『どうだ?』
OK、パケットは正常だよ。スキャンするからそのまま動かないでね』
 みさおの声とともに、額から頭の奥にかけてちりちりと何かが流れる感覚が走った。みさおの配慮か、俺の視界の端に緑に発光するフォントで、高速でスクロールするファイル名の羅列とパーセンテージが表示される。意外にペットチップの容量が大きいらしく、数字の進みが遅い。
 目を閉じて顔を赤く上気させたユキと密着していると、彼女の心臓の鼓動がはっきりと伝わってくる。かわいそうなほど大きく、速く響くそのリズムを感じているうちに、困った事に俺の動悸も速まってきた。ユキの髪の甘酸っぱい香りや、子供のような高い体温を意識してはいけないと思うほどに逆効果となっていくようで――
『な……なにこれ!?』
 突然、緊張した声でみさおが叫んだ。
『ど、どうした?』
『故障じゃない……おかしいよ、こんな……。このペットチップ、ウイルスに感染してる』
『な……。だって、どこで接触するんだよ? ペットチップはスタンドアロンでネットには繋がらないぜ?』
『そうなんだけど……。こんなプログラム、絶対に自然発生したりしない。悪意があるよ。破壊の……意志……
 みさおの声が途切れる。
『おい、大丈夫かみさお!?』
『大丈夫、今、つかまえて……切り離す……。お兄ちゃん、しっかり頭固定してて! こっちにダンプするよ!』
 ユキの頭を包んだ両手に力をこめ、額をしっかりと密着させると同時に一際激しく火花が散るような感覚が襲った。ユキの体が硬直し、小さく震える。
『これでよし……と。大丈夫、ピコちゃんは消えてないよ。ウイルスにIOの一部を押さえられてただけ。今修復する。メモリも一部侵食されてるけど……これなら記憶がわずかに欠損するくらいで……お兄ちゃん、もう頭離していいよ。両手でお椀作って!』
 みさおの謎指令にとまどいながらも、俺は顔を起こしてユキの肩に手を置いた。そっと体を離す。
「終わったよ」
 ユキは目をぱっと開けると、二、三度まばたきをしてから急きこむように言った。
「あの……ピコは、ピコは……
 俺はみさおに言われたとおり、体の前で両てのひらを合わせて上向けた。すると、その中にきらきらと輝く光の粒が出現し、それは瞬く間に増えていって――一瞬、激しい閃光を放ったと思うと、そこには一匹の小さな黒猫がちょこんと座っていた。尖った耳はうさぎのように伸び、体と同じほどの長さがあるしっぽの先には赤いリボンを結んでいる。
「あ……ピコ……ピコ!!」
 ユキの顔がくしゃっとゆがみ、大粒の涙が次々に零れ落ちた。震える両手を黒猫に差し伸べると、猫は俺の手からユキの手へとぴょんと飛びうつり、腕を駆け上って肩から肩へと走り回った。涙の光る顔を輝かせ、笑い声を上げるユキ。俺の隣りでひざを抱えて浮遊しているみさおも嬉しそうな笑みを浮かべている。
「その子がピコか。可愛いな」
 声をかけると、ユキは目を丸くして俺の顔をみつめた。
……先輩、ピコが見えるんですか?」
「あ、ああ。まだリンクが生きてるから」
 ユキはにっこり笑うと、ピコを手の甲に乗せ、こちらに差し出した。
「ほらピコ、お礼を言いなさい。この人が助けてくれたのよ」
 妖精じみた黒猫のエメラルドのような瞳に見つめられ、俺は戸惑った。
「あ、いや……君を助けたのは……
『わかっています』
 突然頭の中に、幼い少年のような声が響いた。それが目の前の猫のものだと気付き、今度は俺が目を丸くする。俺も念話に切り替え、
『君は……喋れるのか?』
『ええ。もう五年も生きていますから。ありがとうございます、タケルさん――
 ピコは視線を右に向け、
『それに、みさおさん』
 言うと、軽く頭を下げた。俺は少々慌てたが、この会話はユキには聞こえてはいないようだ。
 みさおは既にピコがどういう存在なのか知っていたらしく、驚いた様子は見せなかった。微笑しながら右手を伸ばし指先をピコのあごの下に当てる。黒猫は気持ちよさそうに目を閉じる。その瞬間――これは俺が感じた事にすぎないが――二人の間で大量のデータ交換があった、ような気がした。
 みさおが指を離すとピコは目を開けた。もう一度ペコリと頭を下げると、ユキの腕を駆け上って右肩に座る。
 ユキは黒猫に頬を摺り寄せると、涙でうるむ大きな瞳でまっすぐ俺を見つめてきた。
「ほんとに……ほんとにありがとうございました。何てお礼を言っていいか……
「いや、そんな……
「わたし……わたし……
 その時、ぱん、と両手を打ち合わせる音が部屋中に響いた。
「さて!」
 雰囲気をぶち壊す珊花の声。
「依頼が解決したところで――
 振り向いた俺たちの前でにこやかに笑うと、華麗な仕草で脚を組み替え、
――ギャラの話をしようか」



 夜。
 昨日と同じく池袋ベースタワー下部にある都立図書館に寄り道した俺たちは、人気のない道を自宅へと歩いていた。
 我が家は東京レイヤー北西部の未完成エリアぎりぎり手前にある小さなマンションの地下一階だ。家族は俺とみさおだけ。2DKの狭い部屋だが、レイヤーの基材に埋没しているためとても静かで気に入っている。そもそもこの辺りに住む人間の数が東京とは思えないほど少ないため、六車線の広い道は車が通る事も稀だ。遺伝子調整を施された青白い幹を持つ街路樹を、オレンジ色の街燈がぼんやりと照らしている。道の先は深い闇に飲まれ、まるで異世界へと通じる回廊のようだ。
 みさおは珍しく考え事をしているようだった。俺の右横の定位置に浮かび無言でうつむいている。
 不意にみさおが右手を前に伸ばした。視線を向けると、手のひらの上にぽっと黄色い光がともった。それは見る間に直径十センチほどの球体となり――その中で何かがうごめく様子が見て取れた。
……? なんだそれ?」
 尋ねると、みさおは手を俺の眼前に差し出した。顔を近づけ、覗きこむ。
「うわっ」
 俺は反射的にのけぞっていた。光球に囚われているのは、金属でできた巨大な虫――とでも言うべき物だった。細長い円筒形の体は無数の体節に区切られ、ひとつひとつのリングから針状の脚が伸びている。頭と思しき先端には赤いビーズのような複数の眼が光り、二本の触覚を長く伸ばしたその生き物が激しく体をよじっている光景は生理的な嫌悪感を催させる。
「な……なんだよソレ!?」
『例のウイルスだよ。ピコちゃんのチップに入り込んでたやつ』
「まだ消してなかったのか?」
『うん。ちょっと気になって……
 みさおが持っているということはこのワームは現在俺の頭の中に存在するということだ。相当に背すじの寒くなる話ではあるがどうにかこらえる。
『これ、相当危険なプログラムだよ。時限式で、まだ非活性状態だったからあたしでも分離できたけど、活動が始まってたら無理だったとおもう。タイマーが入ると潜入したチップのデータを上書きして、チップ自体をどんどん拡張しようとするの。へたしたらユーザーの脳を破壊するかもしれない』
……
『肝心なコア?プログラムのコードが暗号化されてて、解析にはちょっと時間かかりそうなんだけど……なんだか、嫌な予感がするよ……
……時限式、って言ったな? タイマーはいつにセットされてたんだ?」
『十二月二十五日、零時ちょうど』
「クリスマスか。あと一ヶ月無いな……。情報省とかセキュリティソフトメーカーのサイトには警告出てないのか?」
『政府も企業も公式には報告出してないね。とりあえずメール送っとくけど……実害が出てないウイルスは対処後回しだからね、どうかな……
「情報省はアングラチップの摘発で手一杯らしいからなぁ。俺たちでちょっと調べてみるか……
『そうだね。ユキちゃんが言ってたゲームショップが怪しいと思うの』
 依頼解決の報酬を決めたあと――さすがの珊花も十三歳の子供から金を取る気はなかったらしく、電脳研の部室を週に一回掃除に来るという結論に落ち着いた。ユキは妙に嬉しそうだったのが理解に苦しむ所だが――俺はユキからウイルスに感染した場所の心当たりを聞いておいたのだった。
 ユキがインプラントしているのはペットチップ一つだけで、ネット経由ということはあり得なかったし、あとはブレインコネクト式のヘッドギア経由くらいしか考えられない。ユキの話では、一週間ほど前に新宿エリアにあるゲームショップの体験コーナーでヘッドギアを装着したと言う。小規模とはいえ企業のシステムがウイルスに感染しているとは考えにくいが――
「念のためだ、明日は土曜だし、行くだけ行ってみよう。新宿も久しぶりだしな」
『うん。……考えすぎだといいけど、ね』
 みさおは手のひらのワームを消すと、俺にぴたりと寄り添った。
 
 長かった一日を終え、ベッドに入った俺はナイトランプの明かりを暗いグリーンに調節すると目を閉じた。みさおは基本的には、俺がトイレとバスとベッドに入っているときは慎み深く姿を現さない。脳内で『おやすみ、みさお』と呟いて眠りの淵に意識を沈めようとした俺は、だから耳もとで不意に『お兄ちゃん』と呼びかけられて少々驚いた。
 目を開け、顔を左に傾けると、ベッドのすぐ上に檸檬色のパジャマ姿のみさおがうつぶせに漂っていた。髪を解いているので普段よりわずかに大人っぽい雰囲気を見せている。
……どうかしたのか?」
 訊くと、ちょっとすねたように唇を尖らせ、
『お兄ちゃん、今日、ユキちゃんと抱き合ってたときすっごくドキドキしてたでしょ』
 と予想外の言葉を口にした。
「なん……、いや、別に抱き合ってたわけじゃ……
『お兄ちゃんてけっこう女の子好きだよね』
「そ、そんな事はないぞ!」
 容赦ない追い打ちを浴びせられて、今度こそ俺は慌てふためく。みさおはすました顔でそっぽを向いていたが、やがてくすくす笑い出した。そのまま舞い降り、俺の隣りにふわりと着地する。笑いをおさめ、わずかに頬を赤らめながら――
『ね、お兄ちゃん……昼間の続き、しよ』
……
 俺は無言で体ごとみさおの方に向き直ると、まっすぐに妹の瞳を見つめた。湧き上がる愛おしさを、今だけは隠さず、そっと手を差し伸べる。
 みさおはゆっくり体を移動させ、俺にぴたりと密着させた。みさおの細い体に――形だけだが――両腕をまわし、抱き寄せる。錯覚なのだろうが、ほのかな温かみを感じる。
……あたしね……
 ごくごくかすかなささやき声でみさおが言う。
『あの猫さんにきいてみたの。――いつかユキちゃんと別れなきゃならない時がきたら、あなたはどうするの? って……
……
『そしたら猫さんはこう言った。必要とされることだけが自分の存在意義だ――って。ユキちゃんが猫さんを必要としなくなる時がきたら、それは存在の消滅と同じことだから、それ以後のことを考えるのは無意味だ――って……
「みさお……
 俺はぎゅっと目を瞑り、気持ちをあまさず伝えるべく全ての思念をかたむけながら言った。
「俺にはみさおが必要だ。生きる意味のすべてだ。だから、別れのことなんて考えなくていい」
『お兄ちゃん……
 銀の鈴を鳴らすようなみさおの声が、かすかに、しかしはっきりと響く。
『好き。大好き』
 暖かく、やわらかいみさおの唇が触れる感触。深く、強く、何度もキスを繰り返す。
 可能なら――
 可能なら、俺もチップのなかの情報生命になってしまいたい。みさおと同じ存在として、すべてを共有し、分かち合いたい。電子の世界でみさおがひとり凍えることのないように――

 その夜、俺は夢を見た。
 夢のなかで、俺とみさおは二羽の白い鳥となって、苔むしたビル群の廃墟の上をどこまでも飛んでいた。痛みの記憶は地上に捨て去り、未来には何の憂いもなかった。果てしなく広がる青い世界を目指して、いつまでも、いつまでも飛びつづけた。



 翌日は朝から雨だった。
 半透明の結晶素材で出来た街並みに、霧のような雨が音もなく降り注ぐ光景は幻想的な美しさだ。つい立ち尽くし、いつまでも眺めていたくなる――足もとから忍び込んでくる凍るような冷気がなければ、だが。
 俺はひとつ小さくくしゃみをすると、右手に握った傘を持ち上げ、降りしきる雨の中両手をひろげてくるくる回っているみさおを見上げた。
……雨がそんなに楽しいか?」
『うん。あたし雨大好き。すごいよねー、こんなに沢山の雨つぶが無限に空から降ってくるんだよ。なんか圧倒されちゃう』
……
 そんなものかな、と俺も傘の端からのぞく灰色の空を見上げる。
 みさおは、外界をいくつかの感覚で複合的に認知している。まずは俺の両目から入力される光学的な情報。さらに俺の後頭部の皮膚二箇所に埋め込まれたセンサーチップによって、赤外線感知と、微弱ながら電磁波によるレーダー機能までも有している。
 みさおは今、それらのセンサーによって周囲百メートル以上の空間に降りしきる雨粒の総量を感じているのだろう。俺には永遠に理解し得ない感覚だ。こんな時は、つい妹との間のどうにもできない距離を意識してしまう。
「みさお……
 俺の声に忍び込んだ一抹の寂寥感に気付いたのか、みさおはふわりと舞い降りると傘の下に潜りこんできた。俺の胸に右頬をつけてこちらを見上げ、にこりと笑う。俺が左手で頭を撫でる――格好だけだが――と、甘えるような喉声を出して目を細める。
 俺は顔を上げ、改めて周囲の風景を見回した。
 超高架モノレール第二環状線?十二社駅の駅前広場に俺たちは立っている。地上の位置と照応すれば西新宿、新宿中央公園の真上となる。
 背後には斜めのラインを多用した造形の駅舎が建ち、正面には小規模なロータリーが設置されている。広場を取り巻く道沿いにはファーストフード店や書店が肩を寄せ合って並んでいるが、法律によって建設材の半分以上を陽光透過結晶とするよう定められているため、街並みの色彩はクリアシルバーに統一されており雑多な印象は少ない。
 人口密度の低いレイヤー上とは言え、さすがにこの辺りは雨の土曜日午前中でも行き交う人の数はそれなりに多い。新宿エリアはレイヤー上でも一大商業地域となっており、特にこの付近は小規模の店舗が多く存在することで有名だ。ユキが立ち寄った問題のゲームショップも十二社駅から徒歩十数分の場所に存在するはずだった。
「さて、そろそろ行くか。地図を出してくれ」
『ん』
 俺の声にうなずくと、みさおは右手を広げた。その上に半透明に発光する長方形のパネルが出現し、周囲の詳細な地図を表示する。同時に俺の立つ場所から、地面を這って青い光の帯が伸び、駅前を横切って南へ伸びる路地へと消えていく。
 無論これらの表示はすべてみさおが俺の視覚に重ね合わせたものだ。この《みさおナビ》のおかげでここ数年道に迷った記憶はない。俺は傘の柄を握りなおすと、青いラインを辿って歩き始めた。

 凍てつく小糠雨の中を早足に歩く。
 この透明な街に降り注ぐ雨は道の至るところにある排水口に吸い込まれ、レイヤー内部で浄水処理されて、底面から再び人工の雨として地上?旧東京に降り注ぐことになる。
 水質自体は東京レイヤーに降る雨よりも格段にきれいになっているはずなのだが、旧東京の住民たちにはその雨を嫌う者も多い。その気持ちはわからなくもない。たとえ地上に到達した時の水滴としての形質が同じであろうとも、遥か天空の雨雲から降り注ぐ――という要素を除かれた雨ははたして雨と呼べるのだろうか。
 とりとめのない思考を巡らせながら、駅前通りの人波をすり抜けて歩きつづける。青く発光する道標を追って左に曲がり、右に曲がりするうちにアーケードに覆われた商店街にたどり着いた。薄い透明な天蓋の下、種々雑多な商店が軒を連ねている。傘を畳んで左手に下げ、更に増えた買い物客の間を歩く事数分――
『あ、あそこだよお兄ちゃん』
 みさおの指差す先に、一際賑やかな音楽を撒き散らす大型の店舗が姿を現した。店頭上部のレーザーボードには、めまぐるしく色彩の変化する文字で《ジェスタークラブ》と表示されている。東京レイヤー一円に支店を持つ、大規模なゲームショップ?チェーンの名前だ。
『企業の背景を調べられるか?』
 周囲に人が多いので念話でみさおに尋ねると、コクリとうなずいてまぶたを閉じた。俺が手動でネットを検索して調べようとしたら十分はかかるところだが、みさおは十秒足らずでぱちりと目を開ける。
『んーとねえ、創業は四年前、レイヤー秋葉原エリアのお店が一号店だね。特に今まで法的な問題は無し……親会社は《東機商事》ってなってるけど、こっちもトラブル歴は無さそうだよ』
『やっぱ見当外れだったかな……。とりあえずヘッドギアだけ試してみて、何も無かったら新宿空中庭園にでも行くか』
『うん!』
 俺たちは頷きあうと、子供で賑わう店内に向かって足を踏み出した。
 
 《ジェスタークラブ西新宿店》の広く、明るい店内は実に健全な雰囲気で、妙なウイルス?プログラムが潜伏しているようにはとても見えなかった。入ってすぐ右のレジには元気のいい店員が数人並び、左の壁面にはびっしりとモニタパネルが設置されて色とりどりのゲームソフトのデモを行っている。
 嬌声を上げる子供の集団や、新作ゲームのパッケージを真剣に眺めている大学生風の男の間をすり抜け、店の奥にたどり着くと、そこに問題のブレインコネクト?ヘッドギアを備えたゲーム体験コーナーがあった。
 この、主にブレインチップ用ソフトウェアのデモンストレーションを目的として開発されたヘルメット型の装置には二つの機能がある。
 一つは、HMD(ヘッドマウントディスプレイ)式スクリーンとヘッドフォンを用いた、ゲームソフト疑似体験機能。もう一つはそのソフトを購入してブレインチップにダウンロードする時に使用する、チップ通信機能である。
 ゲームに使用できるブレインチップを持っていないユキは、遊びのつもりでヘッドギアを装着したのだろうが、その間にユキのペットチップに無断で接続し、ウイルスを侵入させることは理論的には可能だ。まっとうな企業がそんなことをする必然性はどう考えても無さそうなのだが……
 正面奥の壁に沿って三つ並んで設置されているコクピット型の体験ブースのうち、二つは使用中だった。俺は一番右のシートに体を滑り込ませ、目の前のラックに置かれた黒光りするヘッドギアを手に取る。
 ひざの上にちょこんと座ったみさおに向かって、『じゃあ、被ってみるからな。チェックよろしく』と声をかけ、俺はずしりと重いギアにゆっくりと頭を押し込んだ。店内のざわめきが急速に遠ざかり、視界を暗闇が包んだ。

(つづく) 


登场人物介绍:

【生肉】【川原砾】JUST IN MY EYES - sinonhecate - Sinonhecate

【御蔵 健?ミクラ タケル】
十五歳。
三年前、事故で両親を失う。
TLU付属学校中等部三年。
電脳研究部の現部長。
超シスコン。 


【生肉】【川原砾】JUST IN MY EYES - sinonhecate - Sinonhecate

【みさお(御蔵 水佐緒)?ミクラ ミサオ】
健の妹。
三年前の事故で肉体を失い、
現在は健の脳にインプラントされている
ブレインチップに身を宿す情報生命体。
数々の特殊能力で健を助ける。 


【生肉】【川原砾】JUST IN MY EYES - sinonhecate - Sinonhecate

 【黄 珊花?ファン シャンファ】
十六歳。
TLU付属学校高等部一年。
電脳研究部前部長。
健をアゴでこきつかうのが
生き甲斐。 


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 【能美 秋春?ノウミ アキハル】
十七歳。
極秘に開発された
戦闘用ブレインチップを持つ
《ブーステッド》。 


【生肉】【川原砾】JUST IN MY EYES - sinonhecate - Sinonhecate

 【ミュウ】
 

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